聖書日課 エレミヤ書23章(新共同訳 旧約pp.1218-1222)
エレミヤの預言には、明らかに二つの面がある。一つは神の民ユダの滅びである。彼らは、長い間の罪のために、滅亡の日が近づいていた。
そのような時代には、多くの偽「預言者」が登場した。彼らは、神の民に偽りの「平和」を語り続けた。
「万軍の主はこう言われる。お前たちに預言する預言者たちの/言葉を聞いてはならない。彼らはお前たちに空しい望みを抱かせ/主の口の言葉ではなく、自分の心の幻を語る。わたしを侮る者たちに向かって/彼らは常に言う。『平和があなたたちに臨むと/主が語られた』と。また、かたくなな心のままに歩む者に向かって/『災いがあなたたちに来ることはない』と言う」(16~17節)。
人々に耳あたりの良いことだけを告げるのが預言者ではない。預言者は、寧ろ人々の罪を指摘し、人々を悔い改めて主なる神に立ち帰らせるメッセージを語る。エレミヤは、まさにそういう預言者だった。
しかし、エレミヤの預言には、もう一つ大事な一面があった。それは、滅亡の向こうにある希望、即ち回復と救いの約束である。
「それゆえ、イスラエルの神、主はわたしの民を牧する牧者たちについて、こう言われる。『あなたたちは、わたしの羊の群れを散らし、追い払うばかりで、顧みることをしなかった。わたしはあなたたちの悪い行いを罰する』と主は言われる。『このわたしが、群れの残った羊を、追いやったあらゆる国々から集め、もとの牧場に帰らせる。群れは子を産み、数を増やす。彼らを牧する牧者をわたしは立てる。群れはもはや恐れることも、おびえることもなく、また迷い出ることもない』と主は言われる。見よ、このような日が来る、と主は言われる。わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。王は治め、栄え/この国に正義と恵みの業を行う。彼の代にユダは救われ/イスラエルは安らかに住む。彼の名は、『主は我らの救い』と呼ばれる」(2~6節)。
罪に対する裁きと、罪による滅びからの回復と救い。これがエレミヤの、いやエレミヤだけでなく、多くの旧約の預言者のメッセージであった。そこには、義と愛の神の御心がはっきりと現わされている。主は、全ての人が悔い改めて主に立ち帰り、「救い」と祝福に満たされるようにと、今も呼びかけておられる。あなたにもその御声が聞こえていないだろうか。
西原新生バプテスト教会
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