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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 申命記9章

聖書日課 申命記9章(新共同訳 旧約pp.295-297)

 これからイスラエルの民はカナンの地を攻め取ろうとしていた。彼らがカナンの地を所有する根拠は何なのか。「あなたが正しく、心がまっすぐであるから」ではないと、主なる神はイスラエルの民に念を押すように言われた。

「あなたの神、主があなたの前から彼らを追い出されるとき、あなたは、『わたしが正しいので、主はわたしを導いてこの土地を得させてくださった』と思ってはならない。この国々の民が神に逆らうから、主があなたの前から彼らを追い払われるのである。あなたが正しく、心がまっすぐであるから、行って、彼らの土地を得るのではなく、この国々の民が神に逆らうから、あなたの神、主が彼らを追い払われる。またこうして、主はあなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われたことを果たされるのである。あなたが正しいので、あなたの神、主がこの良い土地を与え、それを得させてくださるのではないことをわきまえなさい。あなたはかたくなな民である」(4~6節)。

「わたしが正しい」から、この争いに正当性があると主張出来ない。救いに関しても、「わたしが正しい」から救われたとは言えないし、「わたしが正しい」から天国に入ることが出来るとも言えない。

 主なる神は、カナンの地が罪によって余りにも腐敗し、「この国々の民が神に逆らうから」、彼らを「追い払」い、イスラエルの民を住まわせようとされた。しかし、「正しい」と言えるのは、主なる神のほか誰も存在しない。

 そのような謙遜をイスラエルの民はどれほど理解出来ていただろうか。「自分達は正しいんだ。だから、この民を滅ぼし追い出す資格があるのだ」。このような考えが、後の選民思想に繋がり、霊的傲慢へと繋がっていった。

 これは新約の民である教会にも言えることである。霊的傲慢に陥ってはならない。私達は、「わたしが正しい」から、つまり、自分の義によって救いを受けたのではない。イエス・キリストによって「神の義」を与えられたのである。

「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです」(コリントの信徒への手紙二5章21節)。

 これを忘れてしまうと、「かたくなな民」と呼ばれるようになる。主なる神は、イスラエル「かたくなな民」であると指摘される。

 その後のイスラエルの歴史において、彼らが「かたくなな民」であるという指摘が何度も繰り返される。「わたしが正しい」として、悔い改めない心。それはやがて「かたくなな」心を作り上げることになる。

「しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません」(詩編51編19節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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