聖書日課 エゼキエル書3章(新共同訳 旧約pp.1298-1299)
「彼はわたしに言われた。『人の子よ、目の前にあるものを食べなさい。この巻物を食べ、行ってイスラエルの家に語りなさい。』わたしが口を開くと、主はこの巻物をわたしに食べさせて、言われた。『人の子よ、わたしが与えるこの巻物を胃袋に入れ、腹を満たせ。』わたしがそれを食べると、それは蜜のように口に甘かった。主はわたしに言われた。『人の子よ、イスラエルの家に行き、わたしの言葉を彼らに語りなさい』」(1~4節)。
とても不思議な光景である。しかし、とても分かり易い光景でもある。「巻物」とは、主なる神の御言葉であり、主の御言葉が表にも裏にも書かれた「巻物」で「腹を満た」すと、「それは蜜のように口に甘かった」というのである。
主の御言葉は、単なる知識ではない。それは「食べ」るべきものであり、「腹を満た」すものであり、「蜜のように口に甘」いものである。主の御言葉は、私達を真に満たすものであり、私達自身を造り上げるものであり、私達を生かすものである。
そのように、御言葉が血となり肉となって初めて、エゼキエルは預言者としての役目を果たすことが出来た。いや、そうならなければ、とても彼の言葉を聞き入れてもらえるような状況ではなかった。エゼキエルが遣わされるのは彼の同胞「イスラエル」だった。しかし、彼らは「反逆の家」と呼ばれているように、頑固で反抗的な人々だった。
「しかし、イスラエルの家は、あなたに聞こうとはしない。まことに、彼らはわたしに聞こうとしない者だ。まことにイスラエルの家はすべて、額も硬く心も硬い。今やわたしは、あなたの顔を彼らの顔のように硬くし、あなたの額を彼らの額のように硬くする。あなたの額を岩よりも硬いダイヤモンドのようにする。彼らが反逆の家だからといって、彼らを恐れ、彼らの前にたじろいではならない」(7~9節)。
人々の心がどんなに「硬く」ても、決して「恐れ」ず、「たじろ」がずに主の御言葉を語り続けること、それがエゼキエルに与えられた使命だった。そのために、主なる神は、エゼキエルの「額を岩よりも硬いダイヤモンドのようにする」というのである。御言葉を食し、御言葉が血となり肉となる時、私達も「ダイヤモンドのように」堅固な心と信仰が与えられる。そのためにも、主の御言葉によって日々「腹を満た」し続けたいと思う。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛の御手の中に包まれ、御前に祈りを献げられることを、感謝致します。
主よ、いつも御言葉を下さることを感謝します。あなたの御言葉をいただくことは、私の喜び、力、また命です。どんなに厳しい御言葉の中にも、あなたの御声を聞くことが出来るのは、何という幸いでしょう。
主よ、もっとあなたの御言葉を味わうことが出来ますよう、この心を開いて下さい。あなたの圧倒的な恵みを更に知ることが出来ますように。
主よ、あなたを誤解している人が何と多いことでしょう。あなたの絶大な慈しみを知らないために苦しんでいる人が何と多いことでしょう。
主よ、あなたの恵みを伝えるに相応しい者にこの身を変えて、用いて下さい。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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