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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エゼキエル書12章

聖書日課 エゼキエル書12章(新共同訳 旧約pp.1310-1311)

 エルサレム陥落前後、人々が捕囚として連れ去られる直前にエゼキエルに「主の言葉」が与えられた。

「主の言葉がわたしに臨んだ。『人の子よ、あなたは反逆の家の中に住んでいる。彼らは見る目を持っていながら見ず、聞く耳を持っていながら聞かない。まことに彼らは反逆の家である』」(1~2節)。

 エルサレムの滅亡が確実になったにもかかわらず、或る人々は未だに、自分達には神殿があり御言葉があるから主なる神が助けてくれると言っていた。また或る人々はエジプトに頼って逃げようとしたりしていた。彼らは、この期に及んでも、まだ自分達の罪を認めようとしなかった。主なる神が預言者を通して御声をかけて下さったにもかかわらず、御心に聞き従おうとしなかったのである。

 しかし、どんなに逃げようとしても、主なる神から逃げ出すことは出来ない。主なる神の裁きの御手は既にエルサレムの上に伸ばされていた。エルサレムはバビロンによって崩壊され、家々も神殿も全てが焼き尽くされ、人々はバビロンに捕囚されていくことが、預言者によって宣告されていた。

 しかし、この時主はエゼキエルに言った。

「人の住んでいた町々は荒れ果て、この地は荒廃に帰する。そのとき、お前たちは、わたしが主であることを知るようになる」(20節)。

 主なる神が何よりも望んでおられたこと、それは、「反逆の家」と呼ばれた人々が滅び去ることではなかった。彼らが「主」なる神を「知る」ことだった。たとえ国は滅びても、たとえ家は焼かれても、「主」「知る」ことは何よりも重要なことだった。

 勿論、そのようなことになる前に、彼らは主を知り、主に聞き従って歩むべきであった。そのために、主なる神は何年にもわたり、何度も何度も繰り返し、彼らに呼びかけ、警告し続けて来られた。しかし、イスラエルの人々は、主なる神の御声に聞き従うことなく、とうとうこの日を迎えることになった。

 さて、私達はどうだろうか。主なる神は、今も私達に御声をかけて下さる。私達は、その御声を聞く耳を持っているだろうか。また、主なる神の下さるヴィジョンを「見る目」を持っているだろうか。「彼らは見る目を持っていながら見ず、聞く耳を持っていながら聞かない」。私達は、決してこのような宣告を受けることのないよう、日々主に祈り、主に聞き従って歩み続けよう。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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