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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エゼキエル書2章

聖書日課 エゼキエル書2章(新共同訳 旧約pp.1297-1298)

 或る人が言った。「神の言葉を聞いて何も変わらないなら、それは真に神の言葉を聞いたことにはならない」と。主なる神の御言葉を聞くというのは、私達が造り変えられていくことである。

「彼はわたしに言われた。『人の子よ、自分の足で立て。わたしはあなたに命じる。』彼がわたしに語り始めたとき、霊がわたしの中に入り、わたしを自分の足で立たせた。わたしは語りかける者に耳を傾けた」(1~2節)。

 主なる神の言葉を耳にしたエゼキエルは、「自分の足で立」ち上がった。それは、これまでの自分とは違った生き方が始まったということを意味していた。即ち、諦めていた自分、落ち込んでいた自分、ふてくされていた自分から、立ち上がって、新しい自分、諦めない自分、希望を抱く自分を生きる決心をしたのである。

 この時から、エゼキエルは、捕囚の民に向かって主なる神の言葉を語り始めた。しかし、それは決して平坦な道ではなかった。

「恥知らずで、強情な人々のもとに、わたしはあなたを遣わす。彼らに言いなさい、主なる神はこう言われる、と。彼らが聞き入れようと、また、反逆の家なのだから拒もうとも、彼らは自分たちの間に預言者がいたことを知るであろう」(4~5節)。

 何故主なる神は、この期に及んでも「聞き入れ」るかどうかも分からないような「反逆の家」に、なお預言者を送るのだろうか。それは、主なる神が彼らを決して諦めていない、見捨てていないということを意味しているのではないか。

 そして、そういう主なる神の使いとして立てられたエゼキエルも、立ち上がって、決して諦めない者とされる必要があった。それは全て主なる神の御言葉によってなされた。御言葉には人を造り変える力がある。御言葉によって人は立ち上がることが出来る。

「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです」(テモテへの手紙二3章16~17節)。

祈り
 愛する天のお父様、尊いあなたの御名を心からほめたたえます。

 主よ、今日もあなたの温かい御思いに触れ、震える思いです。絶望する者、高慢な者の中にも、あなたは、あなたの御言葉を送り、導いて下さいます。

 あなたは時に厳しく語られますが、それは、あなたご自身が頑な私達をお導き下さっているからです。見捨てず、握って下さることを感謝致します。

 どうか、痛みの中であなたの御言葉を聞き続けるあなたの子供達の只中にあなたご自身が御臨在下さい。親しくお導き下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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