聖書日課 申命記18章(新共同訳 旧約pp.309-310)
18章で、主なる神は、イスラエルの民の中からモーセのような「預言者を立て」ることを約束されている(15節)。その預言者は、主なる神が「命じることをすべて彼らに告げる」ことになる。
「わたしは彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立ててその口にわたしの言葉を授ける。彼はわたしが命じることをすべて彼らに告げるであろう。彼がわたしの名によってわたしの言葉を語るのに、聞き従わない者があるならば、わたしはその責任を追及する」(18~19節)。
モーセの後、数々の預言者が登場した。サムエル、エリヤ、イザヤ、エレミヤなど名だたる預言者もいれば、偽預言者もいた。偽預言者の区別は簡単である。その預言者の語ったことが「実現しなければ」、彼は偽者である。
「その預言者が主の御名によって語っても、そのことが起こらず、実現しなければ、それは主が語られたものではない。預言者が勝手に語ったのであるから、恐れることはない」(22節)。
モーセのような「預言者」は、主なる神の御言葉を取り次ぐだけではない。モーセがそうであったように、民を率いて奴隷の地から救い出す「預言者」である。民のために執り成しの祈りを献げる大祭司のような「預言者」である。民を養い、統率し、約束の地へと導く羊飼いのような「預言者」である。
人々は、このモーセのような「預言者」を待ち望んだ。後の時代になって、バプテスマのヨハネに人々が「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねたのは、このことである(ヨハネによる福音書1章21節)。それに対し、ヨハネは「そうではない」と答え、イエス・キリストこそがその御方であると証しした。
「その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。『見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである』」(ヨハネによる福音書1章29~30節)。
イエス・キリストこそ、「羊が命を受けるため」に来られた「良い羊飼い」であり(ヨハネによる福音書10章10~11節)、主なる神が「命じることをすべて」「告げる」真の「預言者」である。そして、イエス・キリストこそ、十字架でご自分の命を献げて民のために執り成し、人々を罪の奴隷の地から救い出すモーセのような、いやモーセ以上の「預言者」である。
西原新生バプテスト教会
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