ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エレミヤ書19章

聖書日課 エレミヤ書19章(新共同訳 旧約pp.1212-1213)

「ベン・ヒノムの谷」に、突如「壺」が砕け散る音が響き、預言者エレミヤの呼ばわる声が響き渡った。

「あなたは、共に行く人々の見ているところで、その壺を砕き、彼らに言うがよい。万軍の主はこう言われる。陶工の作った物は、一度砕いたなら元に戻すことができない。それほどに、わたしはこの民とこの都を砕く。人々は葬る場所がないのでトフェトに葬る」(10~11節)。

 これは、イスラエルを愛される主なる神の怒りと悲しみが込もった叫びである。

「それは彼らがわたしを捨て、このところを異教の地とし、そこで彼らも彼らの先祖もユダの王たちも知らなかった他の神々に香をたき、このところを無実の人の血で満たしたからである」(4節)。

 ユダ王国の人々の罪は明らかであった。彼らは、主なる神を「捨て」て、「異教」の偶像を拝み、やもめや孤児を虐げ、この土地を「無実の人の血で満たした」。それ故、彼らは主なる神の御手によって砕かれようとしていた。

 しかし、それはあくまでも回復の時までの懲らしめの御手であったことを忘れてはならない。主なる神は、裁きを通して神の民を再び練り上げ、新しい清い器として造り変えようとしておられた。

 それから、数百年の時が流れ、エルサレムに再び大きな叫び声が響き渡った。「成し遂げられた」(ヨハネによる福音書19章30節)…これは御子イエス・キリストが十字架の上で叫んだ最後の言葉である。イエス・キリストは、私達の罪を身代わりに背負い、ただ一人、十字架の上で御自分の命を献げ尽くして、私達の代わりに砕かれて下さった。それは、主イエス・キリストを信じる者が、罪のために砕かれて永遠の滅びに至ることがないためであった。

 主なる神は頑なな心を砕かれる。しかし、それは罪に汚れた私達を清めて新しくするためである。イエス・キリストが、私達の身代わりとなって下さったので、私達は永遠に滅びることはない。主なる神の御手の中で、永遠に愛される者とされている。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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