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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エレミヤ書14章

聖書日課 エレミヤ書14章(新共同訳 旧約pp.1202-1204)

 ユダ王国旱魃に見舞われた時、エレミヤは次のような祈りを献げた。

「我々の罪が我々自身を告発しています。主よ、御名にふさわしく行ってください。我々の背信は大きく/あなたに対して罪を犯しました。イスラエルの希望、苦難のときの救い主よ。なぜあなたは、この地に身を寄せている人/宿を求める旅人のようになっておられるのか。なぜあなたは、とまどい/人を救いえない勇士のようになっておられるのか。主よ、あなたは我々の中におられます。我々は御名によって呼ばれています。我々を見捨てないでください」(7~9節)。

 しかし、この時、主はこう言われた。

「主はわたしに言われた。『この民のために祈り、幸いを求めてはならない。彼らが断食しても、わたしは彼らの叫びを聞かない。彼らが焼き尽くす献げ物や穀物の献げ物をささげても、わたしは喜ばない。わたしは剣と、飢饉と、疫病によって、彼らを滅ぼし尽くす』」(11~12節)。

 何故主なる神は、「断食して」叫ぶ彼らの祈りを「聞か」れず、彼らのささげる「献げ物」「喜ばない」のか。それは、彼らの信仰が、上辺の行為だけの形式的なものとなってしまっていたからである。勿論、「断食」「献げ物」も、大切な主なる神の掟である。しかし、それは行為そのものではなく、「断食」「献げ物」をする心にこそ意味がある。

 彼らは、「断食すれば、こうしてもらえる」「献げ物をすれば、ああしてもらえる」と考えていた。つまり、彼らの行為は、主なる神との単なる交換条件に過ぎず、本気で主なる神を信頼し、心から主なる神に聞き従おうとしていたのではなかった。しかも彼らは相変わらず偶像にも仕えていた。

 では、真の「断食」、真の「献げ物」とは何だろうか。パウロはこう言っている。

「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」(ローマの信徒への手紙12章1節)。

 自分自身をそっくりそのまま主なる神に献げること、それが真の「献げ物」であり、真の「礼拝」である。そしてそれは、私達のために独り子の命をも十字架に献げて下さった主なる神への、唯一の相応しい応答である。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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