ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ホセア書5章

聖書日課 ホセア書5章(新共同訳 旧約pp.1408-1409)

「エフライム」は北王国イスラエルを代表する部族で、ここでは北王国を指している。「エフライムは淫行にふけり」は(3節)、彼らがバアル礼拝を取り入れていたことを意味しているが、バアル神殿には神殿娼婦がいて、肉体的な意味での「淫行」も同時に行われていた。

 それでは、彼らは主なる神を全く捨て去っていたかというと、そうではなかった。彼らはバアルを礼拝する一方で、主なる神にも献げ物をささげていた。

「彼らは羊と牛を携えて主を尋ね求めるが/見いだすことはできない。主は彼らを離れ去られた。彼らは主を裏切り/異国人の子らを産んだ。それゆえ、新月の祭りが/彼らをも、その所有をも食い尽くす」(6~7節)。

 要するに、彼らは二股をかけていたのである。そしてそれは、主なる神に対する裏切りそのものであった。このことは、昔から八百万の神々を拝んできた日本人には〈不寛容〉〈偏狭〉に思われるかも知れない。しかし、恋愛や結婚における〈二股〉が〈裏切り〉であるのは誰でも分かるだろう。聖書が主なる神とイスラエル(教会)の関係を夫妻に喩えて教えているのは、そのためでもある。

 イスラエルの問題は、まさにこの点にあった。彼らは、主なる神の民でありながら、バアルにも心を寄せ、バアルを拝んでいた。それ故、たとえ彼らが形式的に献げ物を携えて主を尋ね求めても、主なる神を見出すことは出来なかった。「淫行の霊が彼らの中にあり/主を知りえないから」である(4節)。

 どんなに聖書に精通し、どんなに善行に励んでも、私達の心が主なる神以外の何ものかに寄せられていたなら、私達は真の意味で主なる神を知ることも、出会うことも出来ない。主イエス・キリストこそこの世で唯一にして真の救い主であると信じ、この御方にのみ聞き従って生きる決心をした人だけが、真に主なる神に出会い、真に主なる神を知ることが出来る。

「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」(使徒言行録4章12節)。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と恵みの中に置いて御前に引き出し、祈りを与えて下さることを心から感謝致します。

 主よ、あなたを遠くに感じる時があります。罪が私とあなたを隔てているのです。そのような中でなお、自分の罪にしがみつこうとするこの高慢をお赦し下さい。

 苦しみの中からあなたに帰る道を歩き始めることが出来るよう助けて下さい。泣きながらあなたに帰る道を歩む私達を支えて下さい。

 罪の姿のまま帰る私達を、主よ、憐れんで下さい。

 今日、あなたに帰る道を歩き始めることが出来ますように。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/

〈地図〉

www.google.com