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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 申命記16章

聖書日課 申命記16章(新共同訳 旧約pp.306-307)

 16章では、イスラエルの〈三大祝祭日〉が取り上げられている。即ち、①「過越祭」(1節)(それに続く「除酵祭」(16節))、②「七週祭」(10節)、③「仮庵祭」(16節)の三つである。祭りの意味については、出エジプト記レビ記で詳しく取り上げられている。

 さて、これらの祭において、「男子はすべて」「主の御前」「出ねばならない」と命じられている。

「男子はすべて、年に三度、すなわち除酵祭、七週祭、仮庵祭に、あなたの神、主の御前、主の選ばれる場所に出ねばならない。ただし、何も持たずに主の御前に出てはならない。あなたの神、主より受けた祝福に応じて、それぞれ、献げ物を携えなさい」(16~17節)。

 その際「何も持たずに主の御前に出てはならない」と命じられている。そこで、後にイスラエルの人々は、生贄の動物や献げ物の穀物を携えて、祭りが行われるエルサレムの神殿まで詣でるようになった。

 新約の時代において「何も持たずに」とは何を意味するだろうか。それは〈日曜日だけの礼拝〉と言えるだろう。日曜日以外は、信仰とは無関係な生き方をしているため、何ら信仰の実を携えて来ることのない礼拝である。

 信仰の実は、礼拝のある日曜日以外もイエス・キリストと関わりをもって生きる中で結んでいく。だから、礼拝を献げる日と、それ以外の週日が懸け離れていては、「何も持たずに」礼拝に出てしまうことになる。

 とはいえ、何か立派で、すごいと思えるようなものが、主なる神への「献げ物」とは限らない。喜びや讃美の実を携えて集うことが出来る。「打ち砕かれ悔いる心」を携えて集うことも出来る(詩編51編19節)。

 また、「愛」の心を携えることも出来る。主なる神が次のように言われたことを想い起こそう。

「わたしが喜ぶのは/愛であっていけにえではなく/神を知ることであって/焼き尽くす献げ物ではない」(ホセア書6章6節)。

 そして、何よりも、自分自身を主なる神に献げる心で集うことが、礼拝における最高の献げ物である。

「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」(ローマの信徒への手紙12章1節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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