聖書日課 イザヤ書46章(新共同訳 旧約pp.1137-1138)
46~47章はバビロンに関する預言である。本章ではバビロンの偶像について述べられている。
「ベルはかがみ込み、ネボは倒れ伏す。彼らの像は獣や家畜に負わされ/お前たちの担いでいたものは重荷となって/疲れた動物に負わされる。彼らも共にかがみ込み、倒れ伏す。その重荷を救い出すことはできず/彼ら自身も捕らわれて行く」(1~2節)。
イスラエルは度重なる罪のために遂に滅ぼされ、人々はバビロンに捕囚となって連れて行かれた。彼らは、そこで偶像に出会った。一方は滅び、一方は繫栄している。当然ながら、そこには信仰的な誘惑があったことだろう。
それ故、彼らに向かって、主なる神は警告された。
「お前たちはわたしを誰に似せ/誰に等しくしようとするのか。誰にわたしをなぞらえ、似せようというのか。袋の金を注ぎ出し、銀を秤で量る者は/鋳物師を雇って、神を造らせ/これにひれ伏して拝む。彼らはそれを肩に担ぎ、背負って行き/据え付ければそれは立つが/そこから動くことはできない。それに助けを求めて叫んでも答えず/悩みから救ってはくれない」(5~7節)。
人間が造った偶像には、何の力もあろう筈がない。しかし、主なる神は、「生まれた時から」イスラエルを担い、彼らが「白髪」の老人になるまで「背負って」下さる方である(3~4節)。
だから、主なる神は続いて彼らにこう呼びかけられた。
「わたしに聞け、心のかたくなな者よ/恵みの業から遠く離れている者よ。わたしの恵みの業を、わたしは近く成し遂げる。もはや遠くはない。わたしは遅れることなく救いをもたらす。わたしはシオンに救いを/イスラエルにわたしの輝きを与えることにした」(12~13節)。
「わたしに聞け」と主なる神は言われる。偶像は、どんなに伺いを立てても、どんなに祈っても、一言も「答え」ることは出来ない。しかし、主なる神は「恵みの業」を「成し遂げ」、「遅れることなく救いをもたら」し、「シオンに救いを」、「イスラエル」に主なる神の「輝きを与え」て下さる。
あなたは日々、主なる神の御声を聞いているだろうか。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と慈しみに包んで、御前に引き出して下さったこと、祈りを与えて下さることを心から感謝致します。
主よ、私は自分の道を自分で歩いていると思っていました。しかし、あなたが私を背負って下さっていました。私が思い上がりと自己欺瞞によって倒れた時、そこにあなたの大きな背中がありました。あなたは、このような者を背負い、私の思いではなく、あなたのご計画の中に移し替えて下さいました。
あなたの温かさが私を包みます。主よ、何と幸いなことでしょう。あなたに背負われ、あなたに生かされる者は。
主よ、どうか痛み、苦しみの中にあるお一人お一人を今日も背負い、今日の一歩を進ませて下さい。あなたの温かい大きな背中に全てを委ねることが出来るよう、助け、励まして下さい。
心から感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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