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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エズラ記9章

聖書日課 エズラ記9章(新共同訳 旧約pp.735-736)

 律法の研究者であり、イスラエルに主なる神の掟と法を教える教師であったエズラは、同時に祈りの人でもあった。バビロンを旅立つ時、断食の祈りを献げたエズラは(8章21~23節)、エルサレムでも主の御前にひれ伏して「罪を告白し」(1節)、悔い改めと執り成しの祈りを献げた。

「わが神よ、御前に恥じ入るあまり、わたしは顔を上げることができません。わたしたちの罪悪は積み重なって身の丈を越え、罪科は大きく天にまで達しています」(6節)。

 といっても、それはエズラ自身が犯した罪ではない。主なる神の約束の地に帰って来たイスラエルの民」、それも「祭司」「レビ人」という指導的立場にある人々が犯していた罪である(1節)。

 その時、彼らは主なる神の掟を破って、「この地の住民の娘を嫁にして」いた。そして、結婚を通して、「その住民の忌まわしい行い」、即ち偶像礼拝や異教的習慣が神の民の中にもたらされ、道徳的な堕落と共に信仰的な堕落が起こった(1~2節)。それ故、主なる神は結婚そのものを禁じられた(申命記7章1~5節)。

「わたしたちの神よ、こうした御恩をいただきながら、今何を申し上げればよいのでしょうか。わたしたちは御命令に背いてしまったのです」(10節)。

 バビロン捕囚という70年にもわたる苦しみを味わった後、イスラエルの民は、ようやく解放されて故郷エルサレムに帰って来た。にもかかわらず、再び主なる神の律法を破って偶像を拝む愚を犯しているとは、エズラには到底考えられないことだった。

「お前ら、もう勝手にしろ!」と、匙を投げてさっさとバビロンに帰った方がどんなに楽だったことだろう。しかし、彼はエルサレムに留まり続けた。そして、民の罪を自分の罪として告白し、主なる神の慈しみに拠り頼んだ。「衣とマントを裂き、髪の毛とひげをむしり」(3節)、食事もとることなく、「ひざまず」いて、「主に向かって」必死に「祈り」続けた(5~6節)。

 ここに執り成す者の姿がある。仲間のために心を砕いて主の御前にひれ伏し祈る真の指導者の姿がある。そして、それは私達の救いと守りのために祈る、主イエス・キリストの姿でもあることを決して忘れてはならない。

「罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです」(ローマの信徒への手紙8章34節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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