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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 列王記下25章

聖書日課 列王記下25章(新共同訳 旧約pp.622-624)

 列王記最後の25章には、エルサレム陥落の出来事が記されている。ダビデ、ソロモンと続いたイスラエルの栄光の最盛期の後、王国は二つに分裂した。やがて北イスラエル王国アッシリアによって滅ぼされ、それから百数十年後には、南ユダ王国もバビロンによって滅ぼされてしまった。

 その意味では、列王記は〈右肩下がり〉の暗い歴史と言えるだろう。しかし、これは単なる栄枯盛衰の物語ではない。歴史の表面だけを見れば、確かに人間世界のパワーゲームにしか見えないかも知れない。しかし、そこには、神の民を選び、導き、彼らと共に歩まれた主なる神の姿が記されている。列王記に記された歴史の本質はそこにある。即ち、列王記は、主なる神がどのように神の民イスラエルと関わって下さったかという記録である。

 私達は、聖書に書き記されている歴史の中に、今も私達と共にいて働いておられる主なる神を見出し、主なる神を知ることが出来る。聖書を学ぶ目的はそこにある。つまり、人間の罪と滅びの現実を知ると共に、そのような人間を決して見捨てることなく、絶えず呼びかけ、働きかけ、救おうとされる生ける真の神をこの歴史の中に見出し、信じ、従っていく。それが聖書を学ぶ最も大切な意味である。あなたは、そのような主なる神を既に見出しておられるだろうか。そして、主なる神の深い愛と恵みを味わっておられるだろうか。

 ところで、列王記は最後に、バビロンに連れて行かれた「ユダの王ヨヤキン」が、「捕囚となって三十七年目」に栄誉を回復し、「バビロンの王」によって「手厚くもてな」されるようになったことを記して終わっている。

「ユダの王ヨヤキンが捕囚となって三十七年目の第十二の月の二十七日に、バビロンの王エビル・メロダクは、その即位の年にユダの王ヨヤキンに情けをかけ、彼を出獄させた。バビロンの王は彼を手厚くもてなし、バビロンで共にいた王たちの中で彼に最も高い位を与えた。ヨヤキンは獄中の衣を脱ぎ、生きている間、毎日欠かさず王と食事を共にすることとなった。彼は生きている間、毎日、日々の糧を常に王から支給された」(27~30節)。

 これは、暗闇の中の一筋の光であり、神の民は決して見捨てられていないという希望の証しと言えるだろう。イスラエルの罪を裁かれた主なる神は、裁きの向こうに信仰と国家の回復を約束して下さったのである。

「主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す」(エレミヤ書29章10節)。

 主なる神と共に歩む人生に、決して絶望などない。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

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