聖書日課 詩編137編(新共同訳 旧約pp.977-978)
第137編は、罪のために国が滅ぼされ、「捕囚」として「バビロン」に連れ去られて行った人々が、異教の地で歌った悲しみの詩である。
「バビロンの流れのほとりに座り/シオンを思って、わたしたちは泣いた。竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。わたしたちを捕囚にした民が/歌をうたえと言うから/わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして/『歌って聞かせよ、シオンの歌を』と言うから。どうして歌うことができようか/主のための歌を、異教の地で」(1~4節)。
彼らは、異教の民から蔑まれ、苦しめられ、辱められた。「お前達の神はどこにいるのか? もしいるなら見せてみろ! お前達をこんな目に遭わせる神など捨ててしまえ!」そう言って彼らの神を嘲り、「歌って聞かせよ、シオンの歌を」と彼らを苦しめた。
現実を見れば、滅びと迫害。確かに、そこに主なる神を見出すことは出来なかったに違いない。しかし、現実から主なる神を見ようとしても、主なる神を見出すことは決して出来ない。寧ろ、主なる神から現実を見ることによって、そこに生きて働かれる主なる神の臨在と御業を見出すことが出来る。
イスラエルの人々は、捕囚の地で、改めて主なる神への信仰に目覚めた。彼らは、その地で主なる神を見出した。かつては、恵まれた約束の地で主なる神に出会ったが、今度は裁きと苦しみの「捕囚」の地で主なる神に出会った。確かに、主なる神はそこにもおられた!
それ故彼らは言った。
「エルサレムよ/もしも、わたしがあなたを忘れるなら/わたしの右手はなえるがよい。わたしの舌は上顎にはり付くがよい/もしも、あなたを思わぬときがあるなら/もしも、エルサレムを/わたしの最大の喜びとしないなら」(5~6節)。
苦しみと辱めの中で、彼らは再び主なる神に出会い、主なる神を慕い求める信仰に生きる者へと変えられた。主なる神のいない所、主なる神の愛の届かない所は、この地上のどこにもない。
西原新生バプテスト教会
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