聖書日課 コヘレトの言葉8章(新共同訳 旧約pp.1043-1044)
主なる神は、人間を、互いに愛し合い、互いに支え合うべき存在として造られた。ところが、主なる神の教えに逆らい、罪に陥った人間は、互いに相手を支配しようとするようになってしまった(創世記3章16節)。
そして、「人間が人間を支配」することから様々な「苦しみ」や矛盾が生まれた。
「わたしはこのようなことを見極め、太陽の下に起こるすべてのことを、熱心に考えた。今は、人間が人間を支配して苦しみをもたらすような時だ。だから、わたしは悪人が葬儀をしてもらうのも、聖なる場所に出入りするのも、また、正しいことをした人が町で忘れ去られているのも見る。これまた、空しい。悪事に対する条令が速やかに実施されないので/人は大胆に悪事をはたらく」(9~11節)。
「この地上には空しいことが起こる。善人でありながら/悪人の業の報いを受ける者があり/悪人でありながら/善人の業の報いを受ける者がある。これまた空しいと、わたしは言う」(14節)。
これらは皆、人と人が互いに愛し合うのではなく、人が人を「支配」する世界に起こる矛盾であり、「空し」さである。
しかし、そのようなこの世の矛盾を十分に弁えた上で、コヘレトはこう宣言する。
「罪を犯し百度も悪事をはたらいている者が/なお、長生きしている。にもかかわらず、わたしには分かっている。神を畏れる人は、畏れるからこそ幸福になり/悪人は神を畏れないから、長生きできず/影のようなもので、決して幸福にはなれない」(12~13節)。
表面的には、「悪人」が得をし、「善人」が馬鹿を見るように思えたとしても、その内面を見れば、「神を畏れる人は、畏れるからこそ幸福になり/悪人は神を畏れないから、…けっして幸福になれない」。何故なら、主なる神に造られた人間の「幸福」は、造り主である神を「畏れ」敬い、主なる神と共にある中にこそ存在するからである。
「わたしは、神に近くあることを幸いとし/主なる神に避けどころを置く。わたしは御業をことごとく語り伝えよう」(詩編73編28節)。
西原新生バプテスト教会
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