ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 箴言1章

聖書日課 箴言1章(新共同訳 旧約pp.990-991)

 今日から箴言を読んでいく。箴言ヘブライ語で「マーシャール」と言い、「比較」を意味する言葉であるが、そこから「ことわざ」や「格言」という意味で使われている。それは、人間の生活や自然を観察して得られた知恵や知識に基づいて語られた言葉であり、簡潔な表現を用いて、人の心を打つような道徳的或いは霊的真理が語られている。著者はイスラエルの王、ダビデの子、ソロモン」と記されているが、ソロモンがその基となる部分を記し、その後幾人かの著者も加えて編集されたものと言われている。

イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。これは知恵と諭しをわきまえ/分別ある言葉を理解するため/諭しを受け入れて/正義と裁きと公平に目覚めるため。未熟な者に熟慮を教え/若者に知識と慎重さを与えるため。これに聞き従えば、賢人もなお説得力を加え/聡明な人も指導力を増すであろう。また、格言、寓話/賢人らの言葉と謎を理解するため。主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る」(1~7節)。

 私達には、単なる知識や教養という以上の〈生きるための知恵〉が必要ではないだろうか。仕事や人付き合いのための知恵も大切だが、人生の意味を知り、道徳的に正しく生き、謙遜に、そして敬虔に生きる知恵もそれ以上に大切である。

 では、そのような知恵はどこから得られるのだろうか。箴言は明言する。「主を畏れることは知恵の初め」と。

 天地を創造し、この世界を治めておられる主なる神を知り、「畏れ」、敬い、謙って主なる神と共に生きること、それが「知恵」であると聖書は言う。それはまさに主なる神の知恵と言うことが出来るだろう。そして、この主なる神の知恵は、私達にこう呼びかける。

「知恵は巷に呼ばわり/広場に声をあげる。雑踏の街角で呼びかけ/城門の脇の通路で語りかける。『いつまで/浅はかな者は浅はかであることに愛着をもち/不遜な者は不遜であることを好み/愚か者は知ることをいとうのか。立ち帰って、わたしの懲らしめを受け入れるなら/見よ、わたしの霊をあなたたちに注ぎ/わたしの言葉を示そう』」(20~23節)。

 この知恵の言葉に、耳を傾けていこう!

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛、温かな御手に包まれて、御前に祈りを献げられることを感謝致します。

 主よ、あなたを否定し、あなたを蔑んでいた私は、何と愚かだったことでしょう。高慢と絶望は実はコインの表と裏でした。そのような愚かさと高慢の故に倒れた私をあなたは見捨てず、抱きしめて引き起こして下さいました。

 あなたがいるから、この人生は生きる価値があり、あなたが光を照らして下さるから、私は存在しています。あなたの御前にある時、全ての疑いと恐れは消え去ります。あなたが私の全てとなって下さるからです。

 主よ、あなたを「畏れること」は、私の全てです。主よ、どうか永遠に握り、導いて下さい。

 生きる道を見出すことが出来ず、人生の暗闇に泣いている尊いお一人お一人を訪れて下さい。聖書に約束されている通り、あなたが私にそうして下さったように、お一人お一人にあなたの光を照らして下さい。そして、あなたを畏れ、あなたの前にひれ伏しながら生きていく、神の子の尊厳の中にお一人お一人を生かして下さいますよう、心からお願い致します。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com