ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編89編

聖書日課 詩編89編(新共同訳 旧約pp.926-929)

 第89編は、とても長い詩である。内容的には、前半で主なる神によるダビデの選びと彼への契約が語られ、後半は、契約に違反した民の捕囚の苦しみと回復への嘆願の祈りとなっている。

「しかし、彼の子らがわたしの教えを捨て/わたしの裁きによって歩まず/わたしの掟を破り/わたしの戒めを守らないならば/彼らの背きに対しては杖を/悪に対しては疫病を罰として下す。それでもなお、わたしは慈しみを彼から取り去らず/わたしの真実をむなしくすることはない。契約を破ることをせず/わたしの唇から出た言葉を変えることはない。聖なるわたし自身にかけて/わたしはひとつのことを誓った/ダビデを裏切ることは決してない、と。彼の子孫はとこしえに続き/彼の王座はわたしの前に太陽のように/雲の彼方の確かな証しである月のように/とこしえに立つであろう」(31~38節)。

 もし民が契約に違反した場合には「罰」が下される。それでも主なる神は、「慈しみを」「取り去らず」ダビデを裏切ることは決してない」と言われた。主なる神は決して「真実をむなしくすることはない」御方だからである。

 人間は真実を曲げることがある。口から出た言葉を変え、契約を破るのである。しかし、主なる神の約束は、決して破られることはない。それは主なる神が「真実」そのものの御方だからである。信仰とは、この主なる神の「真実」にどこまでも期待し、信頼を置くことである。たとえ罪に陥っても、何度でも悔い改めて、再び主なる神の「真実」に依り頼み、赦しと力をいただくことである。

 47節以降で、作者は、長引く苦難の中でこう祈っている。

「いつまで、主よ、隠れておられるのですか。御怒りは永遠に火と燃え続けるのですか」(47節)。

「主よ、真実をもってダビデに誓われた/あなたの始めからの慈しみは/どこに行ってしまったのでしょうか」(50節)。

 これは決して、不信仰故の疑いとか投げやりな呟きではない。苦しみの中で、どこまでも主なる神に期待し、主なる神の「真実」に信頼しようとする真実な叫びであり、いじけず、腐らず、諦めず、真実な神と向き合う信仰者の祈りである。詩編は、主なる神への真実な信仰に生きた人々の祈りに溢れた書物である。私達は、この書から、祈ることを学び続けることが出来る。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com