主なる神への反逆、それが罪であると聖書は教える。そこに「神への恐れはない」。それ故、真実な自分を見つめることも認めることも出来ず、「善」に「目覚め」ることもなく、常に「悪事を謀り」、「常にその身を不正な道に置き」続ける。何やら、とても陰湿な雰囲気が漂ってくる。
「神に逆らう者に罪が語りかけるのが/わたしの心の奥に聞こえる。彼の前に、神への恐れはない。自分の目に自分を偽っているから/自分の悪を認めることも/それを憎むこともできない。彼の口が語ることは悪事、欺き。決して目覚めようとも、善を行おうともしない。床の上でも悪事を謀り/常にその身を不正な道に置き/悪を退けようとしない」(2~5節)。
しかし、そのような罪人の暗さや陰湿さをものともせず、ダビデは高らかに宣言する。
「主よ、あなたの慈しみは天に/あなたの真実は大空に満ちている。恵みの御業は神の山々のよう/あなたの裁きは大いなる深淵。主よ、あなたは人をも獣をも救われる」(6~7節)。
そして、主の「慈しみ」によって救われた人について、ダビデはこう記している。
「神よ、慈しみはいかに貴いことか。あなたの翼の陰に人の子らは身を寄せ/あなたの家に滴る恵みに潤い/あなたの甘美な流れに渇きを癒す。命の泉はあなたにあり/あなたの光に、わたしたちは光を見る」(8~10節)。
主に逆らう罪人の陰湿さとは対照的な、明るさと豊かさと「潤い」に満ちた人々の姿が描かれている。そしてダビデは祈り、宣言した。
「あなたを知る人の上に/慈しみが常にありますように。心のまっすぐな人の上に/恵みの御業が常にありますように。神に逆らう者の手が/わたしを追い立てることを許さず/驕る者の足が/わたしに迫ることを許さないでください。悪事を働く者は必ず倒れる。彼らは打ち倒され/再び立ち上がることはない」(11~13節)。
ダビデのように、「悪は必ず滅びる!」という確信をいただいて、主の恵みと慈しみに信頼して生き続ける者でありたい。
西原新生バプテスト教会
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