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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編88編

聖書日課 詩編88編(新共同訳 旧約pp.924-926)

 詩編には、苦しみの中からの叫びと祈りが沢山出てくるが、その多くは、最後は信仰による確信と賛美をもって終わっている。ところが、この第88編は、暗いまま、苦しいままで終わっている。

「主よ、わたしはあなたに叫びます。朝ごとに祈りは御前に向かいます。主よ、なぜわたしの魂を突き放し/なぜ御顔をわたしに隠しておられるのですか。わたしは若い時から苦しんで来ました。今は、死を待ちます。あなたの怒りを身に負い、絶えようとしています。あなたの憤りがわたしを圧倒し/あなたを恐れてわたしは滅びます。それは大水のように/絶え間なくわたしの周りに渦巻き/いっせいに襲いかかります。愛する者も友も/あなたはわたしから遠ざけてしまわれました。今、わたしに親しいのは暗闇だけです」(14~19節)。

「何と不信仰な!」と怒ってみても、何の助けにも励ましにもならない。いや、寧ろ「暗闇だけ」で終わっているからこそ、詩編の〈詩編らしさ〉があるのではないか。

 信仰者がいつも確信と賛美に溢れているかと言えば、残念ながらそうではない。主なる神を信じていても、人生には様々な苦しみがある。それどころか、信仰者故の苦しみもある。だから、苦しむことは、決して不信仰ではない。主なる神は苦しむ人を顧みて下さる。

「わたしが顧みるのは/苦しむ人、霊の砕かれた人/わたしの言葉におののく人」(イザヤ書66章2節)。

 苦しみに終わる詩は、現実の苦しみの中にある人にとって、慰めと力になる。問題が解決したという慰めではない。問題は相変わらずあるけれども、自分に先立って、自分以上に苦しんだ人が、自分の傍にいてくれることで、私達は孤独でなくなる。私達には同伴者がいてくれることが分かる。

 私達のために苦しみを受けられたイエス・キリストが、今永遠の同伴者として、私達と共にいて下さる。だから、苦しみの中にいる自分を恥じたり、落ち込むことはない。あなたは決して孤独ではない。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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