事が順調に運んでいる時は、いい気になって、一度問題が起きれば、忽ち恐怖に陥ってしまう。私達はそのようなことを、幾度繰り返すことだろう。
人はこれを〈苦しい時の神頼み〉と言う。普段は信仰心など持たない人が、病気や災難で困った時だけ神に祈ったり頼ったりする。
しかし、私は、そのような〈苦しい時〉にも大切な意味があるように思う。それは、私達が真心から主なる神に頼り、主なる神と共に生きる者となるために、苦しみが私達を主なる神に頼り、祈るよう導いてくれているように思われるからである。
勿論、苦しい時だけでなく、順調な時も、平穏な時も、私達は主なる神によって生かされ、守られ、導かれている。いつでも、どのような場合にも、主なる神と共に歩み、主なる神に聴き従って生きることを忘れてはならない。
「平穏なときには、申しました/『わたしはとこしえに揺らぐことがない』と。主よ、あなたが御旨によって/砦の山に立たせてくださったからです。しかし、御顔を隠されると/わたしはたちまち恐怖に陥りました。主よ、わたしはあなたを呼びます。主に憐れみを乞います。わたしが死んで墓に下ることに/何の益があるでしょう。塵があなたに感謝をささげ/あなたのまことを告げ知らせるでしょうか。主よ、耳を傾け、憐れんでください。主よ、わたしの助けとなってください」(7~11節)。
私達をお創り下さった主なる神は、「ひととき、お怒りになっても/命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも/喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる」御方である(6節)。また、「あなたはわたしの嘆きを踊りに変え/粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました」と賛美される御方である(12節)。あなたは、この主なる神と共に歩む祝福をもう味わっておられるだろうか。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス