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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 歴代誌下7章

聖書日課 歴代誌下7章(新共同訳 旧約pp.679-680)

 神殿奉献にあたりソロモンは祈りを献げた。その祈りに応答するかのように、「天から火が降って焼き尽くす献げ物といけにえをひとなめにし」た。

「ソロモンが祈り終えると、天から火が降って焼き尽くす献げ物といけにえをひとなめにし、主の栄光が神殿に満ちた」(1節)。

 新約の時代に至って、イエス・キリストの弟子達が祈っていた時、聖霊「炎のような舌」として彼らに降った(使徒言行録2章3節)。主なる神は、私達の祈りに応答して聖霊を賜る。

 その後、主なる神はソロモンに語られた。それは神殿に関する約束であった。主なる神は、ご自分の御名が置かれている神殿に、「絶えず」「目を向け」「天から耳を傾け」「心を寄せ」ておられる。

 それ故、ご自分の民が罪を悔い改めて主なる神に「立ち帰」り、祈り求めるなら、主なる神は「罪を赦し」、癒して下さることを約束された。

「もしわたしの名をもって呼ばれているわたしの民が、ひざまずいて祈り、わたしの顔を求め、悪の道を捨てて立ち帰るなら、わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす。今後この所でささげられる祈りに、わたしの目を向け、耳を傾ける。今後、わたしはこの神殿を選んで聖別し、そこにわたしの名をいつまでもとどめる。わたしは絶えずこれに目を向け、心を寄せる」(14~16節)。

 主なる神は恵み深く憐れみ深い御方である。そして、私達が罪を悔い改めて主なる神に立ち帰ることをいつも願っておられる。しかし、その恵みの約束さえも無視して、神殿を汚すようなら、主なる神は御怒りを下される。

「もしあなたたちが背を向け、わたしの授けた掟と戒めを捨て、他の神々のもとに行って仕え、それにひれ伏すなら、わたしは与えた土地から彼らを抜き取り、わたしの名のために聖別したこの神殿もわたしの前から投げ捨てる。こうしてそれは諸国民の中で物笑いと嘲りの的となる」(19~20節)。

 自分の「名のために聖別」された神殿さえも、主なる神は容赦なく「投げ捨てる」というのである。

 その後イスラエルは、主なる神の御言葉に反して偶像礼拝に傾斜していく。にもかかわらず、彼らは神殿のある都エルサレムが滅びる筈がないと高をくくっていた。しかし、主なる神はバビロン軍を用いて都を滅ぼし、「神殿」「投げ捨て」てしまわれた。

 新約に生きる私達はどうだろうか。私達は「神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿」と呼ばれている(コリントの信徒への手紙一6章19節)。つまり、私達自身がイエス・キリストという主なる神の御名が置かれ、聖霊が宿って」おられる「神殿」である。

 イエス・キリストを信じているから、「わたしには、すべてのことが許されている」と高をくくるような生き方をしてはならない(同12節)。聖書はこう教えている。

「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです」(同3章16~17節)。

「神殿」「投げ捨てる」という事態になる前に、主なる神は、私達が罪を悔い改めることを願っておられる。

「もしわたしの名をもって呼ばれているわたしの民が、ひざまずいて祈り、わたしの顔を求め、悪の道を捨てて立ち帰るなら、わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす」と約束して下さった主なる神の憐れみを信頼して祈ろう。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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