ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ヨシュア記8章

聖書日課 ヨシュア記8章(新共同訳 旧約pp.350-352)

 イスラエル民族は悲しみのうちにアカンを処罰した(7章25節)。同胞を処罰しなければならないことは非常な痛みである。このように、自らの罪との戦いには痛みが伴う。

 聖書は、罪との戦いについて「あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません」と述べている(ヘブライ人への手紙12章4節)。しかし、勇気を得よう。痛みの後には勝利があることを信じて。罪と戦う者に、主なる神が慰めと励ましを下さることを信頼して。

 イスラエルの中から罪を取り除いたことによって、民は力を受けた。血栓が取り除かれて、血流が流れ込むように、主なる神から命と勇気を受けてアイとの戦いに勝利した。

 今回の勝利の後、イスラエルの民は、前回のエリコの時とは違う行動をとった。ヨシュアは高ぶることなく、主なる神の御前に感謝の礼拝を献げた。

「そのころ、ヨシュアエバル山にイスラエルの神、主のための祭壇を築いた。この祭壇は、主の僕モーセイスラエルの人々に命じ、モーセの教えの書に記されたとおり、鉄の道具を使わない自然のままの石で造られた。彼らはその上で、主に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげた」(30~31節)。

 勝利の栄光を主なる神に帰することは、大切な態度である。私達は、勝利したり、うまく行くと、つい自分の栄光にしてしまうからである。勝利させて下さった主なる神に感謝し、主なる神に栄光を帰すべきである。

 主なる神こそ栄光を受けるに相応しい御方である。

 人間が自分の栄光にしようとする時、失敗する。サタンも、主なる神の栄光を羨み、栄光を自分のものにしようとして堕落した。

 主なる神だけが栄光を受けるのはずるいと思うだろうか。それは危険な考え方である。栄光は主なる神のものである。被造者である私達は、その主なる神の栄光で輝かせていただく存在である。創造者と被造者の違いを弁えないのは危険である。

 さて、ヨシュアはその祭壇で礼拝を献げた後、「祭壇の石」に律法を「刻んだ」。主なる神の御言葉が石に刻まれることを通して、民の心にも、主なる神の御言葉を尊重し、従順する心を育てようとしたのだろう。

ヨシュアはこの祭壇の石に、モーセイスラエルの人々のために記した教えの写しを刻んだ」(32節)。

 敗北と勝利、失敗と成功……これらを通して、私達は主なる神の御言葉を学び、その御言葉を心に刻むことが大切である。「やれやれ」と思ってやり過ごしてはいけない。

「卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの掟を学ぶようになりました。あなたの口から出る律法はわたしにとって幾千の金銀にまさる恵みである」(詩編119編71~72節)。

 この詩の作者は、試練を通して、主なる神の「掟」を心に刻むことが出来たのを感謝している。試練は、私達が主なる神の御言葉を学び、心に刻む機会である。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com