聖書日課 ヨブ記42章(新共同訳 旧約pp.832-833)
ヨブが得た答え、それは全知「全能」の主の「御旨」は必ず「成就」するということ、そして、人はただ主の御前にひれ伏すのみ、ということであった。ヨブは自分の高ぶりの罪を認め、「塵と灰の上に」ひれ伏して、「悔い改め」た。すると、主なる神はヨブの健康と財産と家族と人間関係の全てを回復し、溢れる祝福で満たして下さった(10~17節)。
「ヨブは主に答えて言った。あなたは全能であり/御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。『これは何者か。知識もないのに/神の経綸を隠そうとするとは。』そのとおりです。わたしには理解できず、わたしの知識を超えた/驚くべき御業をあげつらっておりました。『聞け、わたしが話す。お前に尋ねる、わたしに答えてみよ。』あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し/自分を退け、悔い改めます」(1~6節)。
自分の意に沿わないことが起こる時、或いは、自分が理解出来ない状況に陥った時、私達は「神様、どうしてこんなことが起こるんですか!」と腹を立てることはないだろうか。事の大きさに違いはあるだろうが、私達は誰でも、ヨブと似たような心境に陥ることがある。そのような時、私達はどうすればよいのだろうか。
自分の願うような状況であってもなくても、決して主なる神への愛と信頼を失わないこと、それが真の信仰であり、そこに真の平和と祝福の源がある。主なる神は私達にそのことを願っておられる。そして、それこそが、「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか」とサタンが主なる神に挑戦したことだった(ヨブ記1章9節)。
利益を超えた愛と信頼。それは、私達の罪や弱さや汚れにもかかわらず、私達を愛し、赦し、救うために尊い御子をお献げ下さった父なる神が現された愛である。この愛を受け、この愛に包まれ、この愛に生き続けること、それこそヨブが得た答えだったのではないか。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日も揺れ動く私達を握って放さないあなたの御手に包まれ、御前に引き出していただいたことを心から感謝致します。
主よ、私達は多くの「何故?」を抱えながら生きていますが、あなたはその一つ一つにはお答えになりません。寧ろ、あなたが黙って覆い隠して下さっているから、私達は生きることが出来るのだと思います。あなたの深いご配慮とご愛に心から感謝致します。
主よ、あなたは私達の「何故?」に対して、あなたご自身のご臨在という答えを下さいます。あなたご自身という答えを下さいます。私達に光を照らし、満たして下さいます。そして、謙遜な者として生きることを教えて下さいます。
あなたは「何故?」を超えさせるものを与えて下さいます。いや、あなたのご臨在によって私達の「何故?」は消えてなくなります。
主よ、ヨブ記の学びを導いて下さったことを感謝致します。分からないことの多い人生ですが、変わらぬあなたの愛と御守り、あなたの偉大さと御経綸を覚えることが出来ました。
どうか苦しみの中にある方の上に溢れるあなたの祝福、あなたの解決、あなたの癒しをお与え下さい。
心から感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
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