聖書日課 ヨブ記13章(新共同訳 旧約pp.791-792)
13章は、前章に続いて友人達に対するヨブの答えである。しかし、前半19節までは友人達に向かっての言葉だが、20節からは主なる神に向かっての言葉となっている。これは苦しみ故の混乱とも考えられる。しかし、それ以上に、ヨブが本当に対話したかったのは人間ではなく主なる神であったからだろう。
「ただ、やめていただきたいことが二つあります/御前から逃げ隠れはいたしませんから。わたしの上から御手を遠ざけてください。御腕をもって脅かすのをやめてください。そして、呼んでください、お答えします。わたしに語らせてください、返事をしてください。罪と悪がどれほどわたしにあるのでしょうか。わたしの罪咎を示してください。なぜ、あなたは御顔を隠し/わたしを敵と見なされるのですか」(20~24節)。
というのも、ヨブの苦しみには2つの面があった。それは、物質的・肉体的な苦難と、霊的な意味での苦難である。ヨブは、この2つの苦しみをどちらも主なる神によるものと理解していた。それ故、彼は率直に「わたしの上から御手を遠ざけてください。御腕をもって脅かすのをやめてください」と、物質的・肉体的苦しみからの解放を祈り求めた。
また、霊的な意味での苦難は、主なる神が沈黙してヨブに語りかけて下さらないこと、そして苦難の意味を教えて下さらないことことにあった。それ故、ヨブは「そして、呼んでください、お答えします。わたしに語らせてください、返事をしてください。…なぜ、あなたは御顔を隠し/わたしを敵と見なされるのですか」と主なる神に訴えた。
ヨブは言う。
「たとえこの身を自分の歯にかけ/魂を自分の手に置くことになってもよい。そうだ、神はわたしを殺されるかもしれない。だが、ただ待ってはいられない。わたしの道を神の前に申し立てよう」(14~15節)。
ヨブの真剣さ、必死な思いがひしひしと伝わってくる場面である。こういう場面を読むと、やはりヨブは真の信仰者であり、真の礼拝者であったことがよく分かる。何故なら、これほどの苦しみに遭っても、彼はなお主なる神に向かい、主なる神に語りかけ、主なる神からの答えを待ち望み続けていたのだから。ヨブ自身もこう主張している。
「神を無視する者なら/御前に出るはずはないではないか」(16節)。
主なる神の御前に居続けること、それが信仰であり礼拝である。
西原新生バプテスト教会
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