「悔い改めは一度でいい」
悪魔は「お前の罪は決して赦されない」と責めてくる。
そこで「主よ、赦して下さい」と何度も何度も祈り、過去の罪について後悔する人がいる。しかし、これは悪魔の術中にはまっている。
悪魔が望んでいるのは、私達がイエス・キリストの赦しに対する疑いを強めることであり、キリスト者を不信仰に陥れることである。
「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません」(詩編51編19節)。
主なる神は、私達が悔い改めたことをいつまでも責め続けるような方ではない。
主なる神の善意を誤解させ、私達にいつまでも自分の内面を見つめさせようとするのは、悪魔の常套手段である。
私達が創造された目的は、自分の内面を見つめて、一喜一憂しながら無為に時を過ごすことではない。主なる神の創造の御業に参加し、この世を主なる神の御国に変え、「すべての民」をイエス・キリストの「弟子」とすることである(マタイによる福音書28章19節)。
"Let's forget about ourselves and magnify the Lord and worship Him!" (自分を忘れ、主の御名をあがめ、主を礼拝しよう!)
という讃美歌にある通りである。
勿論、罪を犯しても、それに無頓着でいいというわけではない。罪を犯してしまったらすぐに悔い改めよう。どんな些細な罪でも悔い改めることなしには、私達は決して主なる神の御心に適った者にはならない。
その一方で、同じ罪について悔い改めを繰り返すのも主なる神の御心ではない。悔い改めは一度でいい。