聖書日課 ヨブ記14章(新共同訳 旧約pp.792-793)
ヨブの言葉が続く。これまで見たように、ヨブは主なる神に向かって自分の潔白を主張した。今自分が受けている苦難は自分の罪のためではないことを、友人達と主なる神に対して訴えた。
しかし、だからと言って、ヨブは自分に全く罪がないと言っているのではない。ヨブは、自分が弱くて儚い罪人であることを明確に自覚していた。そして、そのような弱い人間の一人に過ぎない自分が、恵みによって主なる神の僕とされていることに、ヨブの信仰と人生の根拠があった。
だが今、その主なる神の恵みが失われてしまったとしか思えない状況にヨブは陥っていた。それ故、ヨブは主なる神に訴えた。
「人は女から生まれ、人生は短く/苦しみは絶えない。花のように咲き出ては、しおれ/影のように移ろい、永らえることはない。あなたが御目を開いて見ておられるのは/このような者なのです。このようなわたしをあなたに対して/裁きの座に引き出されるのですか。汚れたものから清いものを/引き出すことができましょうか。だれひとりできないのです」(1~4節)。
そこでは、「女から生まれ」た弱い罪人の自分が、主なる神の「裁きの座に引き出され」たらひとたまりもないと言っている。また、生まれつき「汚れた」罪人から、「清いものを/引き出すこと」は「できない」とも言っている。
だからこそ、ヨブは、更に率直にこう祈った。
「呼んでください、わたしはお答えします。御手の業であるわたしを尋ね求めてください。その時には、わたしの歩みを数えてください。わたしの過ちにもはや固執することなく、わたしの罪を袋の中に封じ込め/わたしの悪を塗り隠してください」(15~17節)。
ここには、罪を赦す主なる神に対する信頼が明確に表れている。その根底には、どこまでも主なる神の恵みに拠り頼むヨブの信仰がある。何故なら、ヨブにとっては、それ以外に真の希望は有り得ないのだから。
「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです」(エフェソの信徒への手紙1章7節)。
西原新生バプテスト教会
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