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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エズラ記8章

聖書日課 エズラ記8章(新共同訳 旧約pp.732-734)

 4ヶ月にわたるバビロンからエルサレムへの旅路は、私達がする〈旅行〉とは違い、いつどこで敵や山賊に襲われるか分からない、危険と隣り合わせの命懸けのものだった。そのため、出発にあたり、エズラたちは「断食」をして「旅の無事」を主に祈った。

「わたしはアハワ川のほとりで断食を呼びかけ、神の前に身をかがめ、わたしたちのため、幼い子らのため、また持ち物のために旅の無事を祈ることにした。わたしは旅の間敵から守ってもらうために、歩兵や騎兵を王に求めることを恥とした。『わたしたちの神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手が差し伸べられ、神を見捨てる者には必ず激しい怒りが下ります』と王に言っていたからである。そのためにわたしたちは断食してわたしたちの神に祈り、祈りは聞き入れられた」(21~23節)。

 エズラはペルシア王から信任を受けた人物である。だから、王に願い出さえすれば、「旅の間」「歩兵や騎兵」「敵から守ってもらう」ことも出来た。しかし、エズラはそうしなかった。彼の信仰者としてのプライドが許さなかったのである。

「わたしたちの神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手が差し伸べられ、神を見捨てる者には必ず激しい怒りが下ります」。これがエズラの信仰であった。それを公言して憚らず、ペルシアの王にさえ言っていた。まさに、信仰者の面目躍如と言ったところだろうか。

 しかし、だからと言って、エズラが全く恐れていなかったわけではない。怖いものはやはり怖い。それは信仰の有無に関係ない。ただ明らかに違うのは、信仰者は恐怖を前にした時、ただ怖気づいてしまうのではなく、主なる神に祈りをささげることである。それは、真に恐れるべき御方がどなたであるかを知っており、主こそがこの世界と歴史の真の支配者であるという確信があるからである。だからこそ、彼は「断食を呼びかけ」て人々と共に主に向かって祈った。

 そして、その「祈りは聞き入れられ」、彼らの心に平安と確信が与えられた。真に頼るべき御方を知っている者の強さが、ここに示されている。

「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(コリントの信徒への手紙二12章10節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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