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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 歴代誌下33章

聖書日課 歴代誌下33章(新共同訳 旧約pp.715-717)

「主の目に悪とされることを行った」マナセ王が名君ヒゼキヤの子であるとは、俄かには信じられない。しかも、マナセは何と「五十五年間」もユダを治めたのである! これは歴代の王の中でも最長である。

「マナセは十二歳で王となり、五十五年間エルサレムで王位にあった。彼は主がイスラエル人の前から追い払われた諸国の民の忌むべき慣習に倣い、主の目に悪とされることを行った。彼は父ヒゼキヤが取り壊した聖なる高台を再建し、バアルの祭壇を築き、アシェラ像を造った。更に彼は天の万象の前にひれ伏し、これに仕えた。主はかつて、『エルサレムにわたしの名をとこしえにとどめる』と言われたが、その主の神殿の中に彼は異教の祭壇を築いた。彼はまた、主の神殿の二つの庭に天の万象のための祭壇を築いた。彼はベン・ヒノムの谷で自分の子らに火の中を通らせ、占いやまじないを行い、魔術や口寄せ、霊媒を用いるなど、主の目に悪とされることを数々行って主の怒りを招いた」(1~6節)。

 どうしてマナセ王は、主なる神への信仰を捨ててしまったのだろうか。そして、そのようなマナセ王の治世が、どうして「五十五年間」も続いたのだろうか。

 マナセ王はとても世知に長けていた王だったのだろう。信仰的には最悪だが、王として国を治める能力は優れていたのである。そして、偶像を取り入れたのも、当時の周辺諸国の状況を見ての判断だったのかも知れない。つまり、父ヒゼキヤのように、主への信仰に立ってアッシリアと対抗し、王国に危機を招くよりも、偶像を取り入れて緊張緩和を図ったのではないか。勿論、それはあくまでも人間の知恵である。主なる神の知恵に敵う筈がない。頭が良いというのも、謙る心を失うと、却って禍となる。

 しかし、マナセ王はこのままでは終わらなかった。主の怒りによって「バビロンに引いて行」かれたマナセは(11節)、「苦悩の中で自分の神、主に願い、先祖の神の前に深くへりくだり」(12節)、主なる神に「祈り求めた」。すると、主なる神は「その祈りを聞き入れ、願いをかなえられて、再び彼をエルサレムの自分の王国に戻された」(13節)。そして、エルサレムに帰ったマナセは、町々を増強し、「異国の神々と偶像を主の神殿から取り除き」(15節)、「ユダの人々にイスラエルの神、主に仕えるよう命じた」(16節)。

「こうしてマナセは主が神であることを知った」(13節)。

 どのような人生にも希望は残されている。主の御前に謙り、主が真の神であることを知ることさえ出来れば……。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

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