ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ネヘミヤ記1章

聖書日課 ネヘミヤ記1章(新共同訳 旧約p.739)

 エズラエルサレムに帰還し、律法による改革を行って12、3年後、ペルシアのアルタシャスタ王の「献酌官」ネヘミヤは、ペルシアの「首都スサ」に滞在していた(1節、11節)。すると、ネヘミヤの「兄弟の一人ハナニが、幾人かの人々と連れ立って」、はるばる「ユダから来て」こう告げた。

「捕囚の生き残りで、この州に残っている人々は、大きな不幸の中にあって、恥辱を受けています。エルサレムの城壁は打ち破られ、城門は焼け落ちたままです」(3節)。

 ネヘミヤは、「これを聞いて」「座り込んで泣き、幾日も嘆き、食を断ち、天にいます神に祈りをささげた」(4節)。

「わたしはこう祈った。『おお、天にいます神、主よ、偉大にして畏るべき神よ、主を愛し、主の戒めを守る者に対しては、契約を守り、慈しみを注いでくださる神よ。耳を傾け、目を開き、あなたの僕の祈りをお聞きください。あなたの僕であるイスラエルの人々のために、今わたしは昼も夜も祈り、イスラエルの人々の罪を告白します。わたしたちはあなたに罪を犯しました。わたしも、わたしの父の家も罪を犯しました。あなたに反抗し、あなたの僕モーセにお与えになった戒めと掟と法を守りませんでした』」(5~7節)。

 エズラと同様に、ネヘミヤも祈りの人であった。そして、彼らはどちらも、イスラエルの罪を自分自身の罪として受けとめ、悲しみ、嘆き、座り続けて祈った。

 また、ネヘミヤは、この祈りの中で何度も「僕」という言葉を使って主に語りかけている。「僕」は、聖書において謙遜と信仰の表現である。主の御前にひれ伏し、主の御心に従い仕える者の自己認識に基づく言葉である。信仰の父アブラハムから始まり、モーセ(7~8節)、サムエル、ダビデ、そしてイザヤやエレミヤやエゼキエルなどの預言者も、主の僕」と呼ばれた。

 このような流れの中で、ネヘミヤは自分自身を主の「僕」と呼び、またイスラエルの人々をも「僕」と呼んで祈った。

「彼らはあなたの僕、あなたの民です。あなたが大いなる力と強い御手をもって贖われた者です。おお、わが主よ、あなたの僕の祈りとあなたの僕たちの祈りに、どうか耳を傾けてください」(10~11節)。

 このように、主の僕ネヘミヤは謙遜かつ大胆に祈った。そして、主の導きと力に満たされて、信仰の回復と城壁再建という大事業に挑んでいった。謙遜で大胆な祈り、それは聖書の教える祈りの模範と言えるだろう。

「だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか」(ヘブライ人への手紙4章16節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com