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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 歴代誌下2章

聖書日課 歴代誌下2章(新共同訳 旧約pp.672-673)

 いよいよソロモン王は神殿建設に取り掛かった。

 ソロモン王は父ダビデと親交があったティルスの王フラムに使節を遣わし」(2節)、神殿建設に必要な資材と職人の提供を依頼した(6~7節)。

「あなたのお父さんにはお世話になったから」と、ソロモンは父ダビデの恩恵に与っている。父の世代の交流が子の世代へと引き継がれることは幸いである。

 その一方で、ソロモンの告白には謙遜が滲み出ている。

「またわたしの建てる家は大きな家です。われらの神はすべての神よりも大いなる神だからです。しかし、天も、諸天の天も彼を入れることができないのに、だれが彼のために家を建てることができましょうか。わたしは何者ですか、彼のために家を建てるというのも、ただ彼の前に香をたく所に、ほかならないのです」(4~5節)。

 ソロモンは親の七光りで高慢になることはなかった。神殿建設という光栄に与ることが出来た自分は一体「何者」なのかと告白している。

 これは謙遜であって卑下ではない。卑下は「自分は駄目だ」として何もしない。謙遜は身を低くしながらも大胆に行動する。

 ソロモン王は身を低くして、自分が何者であるかを深く自覚していた。彼は主なる神の「前に香をたく」者であった。「香をたく」とは、〈祈る〉こと、〈礼拝する〉ことを意味する。

〈祈る者〉〈礼拝する者〉であること、これこそ、私達人間の基本的なアイデンティティである。私達は、自分が主なる神の御前で「香をたく者」に他ならないことを忘れてはならない。

 その上で、2章の冒頭には、神殿建設に携わった人々について、「ソロモンは荷役の労働者七万人、山中で石を切り出す労働者八万人、その監督三千六百人を動員した」と記されている(1節)。

 人々の注目は総監督や設計士、調度品の職人に集まる。しかし、建設の作業の最初に言及されているのが「荷役の労働者」「石を切り出す労働者」であるのは、注目すべきことである。しかも、2章の終わりでもう一度触れられ、彼らは「寄留民」であったと記録されている(16~17節)。

「石を切り出す」のは地味な働きである。しかし、それをする人がいなければ神殿は建ち上がらない。主なる神は、そのような目立たない働きにも目を留めておられる。

 しかも、それは〈異邦人〉による働きであった。今日、キリストの体である教会を建て上げるために、私達異邦人も神の民に加えられている。分に応じた働きを謙遜に献げる者であろう。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
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