聖書日課 歴代誌下2章(新共同訳 旧約pp.672-673)
いよいよソロモン王は神殿建設に取り掛かった。
ソロモン王は父ダビデと親交があった「ティルスの王フラムに使節を遣わし」(2節)、神殿建設に必要な資材と職人の提供を依頼した(6~7節)。
「あなたのお父さんにはお世話になったから」と、ソロモンは父ダビデの恩恵に与っている。父の世代の交流が子の世代へと引き継がれることは幸いである。
その一方で、ソロモンの告白には謙遜が滲み出ている。
「またわたしの建てる家は大きな家です。われらの神はすべての神よりも大いなる神だからです。しかし、天も、諸天の天も彼を入れることができないのに、だれが彼のために家を建てることができましょうか。わたしは何者ですか、彼のために家を建てるというのも、ただ彼の前に香をたく所に、ほかならないのです」(4~5節)。
ソロモンは親の七光りで高慢になることはなかった。神殿建設という光栄に与ることが出来た自分は一体「何者」なのかと告白している。
これは謙遜であって卑下ではない。卑下は「自分は駄目だ」として何もしない。謙遜は身を低くしながらも大胆に行動する。
ソロモン王は身を低くして、自分が何者であるかを深く自覚していた。彼は主なる神の「前に香をたく」者であった。「香をたく」とは、〈祈る〉こと、〈礼拝する〉ことを意味する。
〈祈る者〉〈礼拝する者〉であること、これこそ、私達人間の基本的なアイデンティティである。私達は、自分が主なる神の御前で「香をたく者」に他ならないことを忘れてはならない。
その上で、2章の冒頭には、神殿建設に携わった人々について、「ソロモンは荷役の労働者七万人、山中で石を切り出す労働者八万人、その監督三千六百人を動員した」と記されている(1節)。
人々の注目は総監督や設計士、調度品の職人に集まる。しかし、建設の作業の最初に言及されているのが「荷役の労働者」や「石を切り出す労働者」であるのは、注目すべきことである。しかも、2章の終わりでもう一度触れられ、彼らは「寄留民」であったと記録されている(16~17節)。
「石を切り出す」のは地味な働きである。しかし、それをする人がいなければ神殿は建ち上がらない。主なる神は、そのような目立たない働きにも目を留めておられる。
しかも、それは〈異邦人〉による働きであった。今日、キリストの体である教会を建て上げるために、私達異邦人も神の民に加えられている。分に応じた働きを謙遜に献げる者であろう。
西原新生バプテスト教会
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