ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 歴代誌上21章

聖書日課 歴代誌上21章(新共同訳 旧約pp.656-658)

 ダビデイスラエルの人口を数える」人口調査を行った(1節)。しかし「神はこのことを悪と見なされ、イスラエルを撃たれた」(7節)。そして、イスラエルに疫病」「もたらされ」、多くの死者が出た(14節)。

 しかし、主なる神は、イスラエルの人々がエジプトの国を出た」時には、イスラエルの人々の共同体全体の人口調査をしなさい」とお命じになり(民数記1章1~2節)、荒れ野の旅の終わりにもイスラエルの人々の共同体全体の中から、イスラエルにおいて兵役に就くことのできる二十歳以上の者を、家系に従って人口調査をしなさい」と言われている(同26章2節)。どうしてその時は良くて、ダビデの場合は「悪と見なされ」たのだろうか。

 民数記の場合は、主なる神が「人口調査をしなさい」と命じられたのに対し、ダビデは自分の考えでそれを行った。しかもその考えは、「サタンがイスラエルに対して立ち、イスラエルの人口を数えるようにダビデを誘った」ことから出てきたものだった(1節)。

 これだけの記録なので推察するしかないが、ダビデは、民を数えることによって国の軍事力を把握しようとしたのだろう。しかし、それは、主なる神の助けを信頼するより、目に見える軍隊を信頼する誘惑だった。それ故、歴代誌はこのことを「サタン」の働きによるものであったと記している。

 それ以前のダビデは、自国の兵力など気にしていなかった。ただ、主を見上げ、主を信頼し、主が共に戦って下さるので、勝利に次ぐ勝利を得てきた。

 それなのに、自前の軍事力を気にし、頼り、誇ろうとする誘惑にダビデは陥ってしまった。

 このような過ちによって、ダビデイスラエルの民を「疫病」の苦しみにさらすことになった。彼は、主なる神の御怒りをしずめようと「主のための祭壇を築き、焼き尽くす献げ物をささげ、主に祈り求めた」(26節)。

 その場所は「エブス人オルナンの麦打ち場」であった(18節)。ダビデはここを所有者オルナンから買い取ることを提案すると(22節)、オルナンは、王から代金をいただくなどとんでもない、「すべて差し上げます」と申し出た(23節)。それに対し、ダビデは言った。

「いや、わたしは代価を十分支払って買い取らなければならない。あなたのものを主にささげることはできない。無償で得た焼き尽くす献げ物をささげることはできない」(24節)。

 このように、赦しを乞うというのは、安易なことではない。犠牲を伴う。主なる神への礼拝もそうである。主なる神のために犠牲をも惜しまない心で献げることが求められる。ダビデはそのような謙遜な心で、「オルナンの麦打ち場」を買い取り、主のための祭壇を築き、礼拝を献げた。

 ここは後に神殿を建設する場所となった。民に対する主なる神の御怒りが降った場所に、主なる神への献げ物をささげる神殿が建った。主なる神の御怒りと赦しが交差するのが神殿である。そして、人類の罪に対する主なる神の御怒りと赦しが一点に集中した所が、イエス・キリストの十字架である。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com