聖書日課 歴代誌上17章(新共同訳 旧約pp.652-654)
或る日、ダビデ王は、「主の契約の箱」を納めるための神殿を建設したいと「預言者ナタン」に申し出た。それは、「主の契約の箱」をエルサレムに運び入れたダビデの信仰の喜びから生まれた壮大な計画であった。勿論、預言者ナタンも大賛成だった。
「ダビデは王宮に住むようになり、預言者ナタンに言った。『見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、主の契約の箱は、天幕を張ってその下に置いたままだ』。ナタンはダビデに言った。『心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。神はあなたと共におられます』」(1~2節)。
ところが、主なる神は、それよりも更に素晴らしいご計画を持っておられた。ダビデではなく(4節)、ダビデの「跡を継」ぐ「子の一人」に神殿を建てさせるというのである(11~12節)。しかも、逆に主なる神がダビデのために「家を建てる」と約束して下さった(10節)。
そればかりではない。主なる神は、ダビデの「敵をことごとく断ち」、彼を「地上」で「大いなる者」とし(8節)、ダビデの「王座をとこしえに堅く据える」とも約束された(12節)。何と大きな祝福だろう! 何と素晴らしい恵みだろう!
信仰の根本は、私達が主なる神に何かを与えることではない。主なる神が私達に、大切なもの、必要なものを全てお与え下さる御方であると知ることにある。全ては〈恵み〉によって与えられる〈賜物〉である。そこにキリスト教信仰の真髄がある。
主なる神は、ダビデの信仰の申し出を喜ばれた。そして、ダビデが主なる神のためになそうと考えたことを遥かに超えて素晴らしい祝福を注いで下さった。主なる神は、今も、私達の祈りを、礼拝を、讃美を、奉仕を、献身を、献金を、そしてあらゆる献げ物を喜び、私達が献げるものを遥かに超えて大きな恵みと祝福をお与え下さる。
「わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ」(マタイによる福音書19章29節)。
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」(ヨハネの手紙一4章10節)。
西原新生バプテスト教会
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