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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ミカ書6章

聖書日課 ミカ書6章(新共同訳 旧約pp.1455-1456)

 信仰生活に「疲れ」を覚えるということがある。かつては喜びに満ちて主を礼拝し、感謝と讃美に溢れて歩んでいた筈なのに、次第に喜びも感謝もなくなって、不満や文句が口をついて出てくるようになる。おまけに周りの人の方が自由に楽しく生きているように見え、いっそのこと信仰など持たなければ良かったかも知れないなどと思えてくる。そのようなことがないだろうか。この時のイスラエルの民は、まさにそのような心境に陥っていた(3節)。

 しかし、主なる神はイスラエルの民に向かって、「わが民よ、思い起こすがよい。…主の恵みの御業をわきまえるがよい」と言われた(5節)。間違っていたのはイスラエルの民であった。主なる神は、イスラエル「エジプトの国から導き上り/奴隷の家から贖」い、彼らに恵みと祝福を与えられた(4~5節)。にもかかわらず、彼らは主なる神の恵みと愛を忘れ、感謝を忘れ、傲慢になって「罪」と悪の道を歩み続けていた。

 そのくせ、彼らの神の民としての自意識は過剰なほどであった。自分達は主なる神に選ばれた民なのだから特別だと思い上がっていた。そのため、彼らは盛大な儀式を行い、多くのいけにえを献げてはいたが、真実の信仰から懸け離れたものとなっていた。

 そのような人々に対し、預言者ミカは次のように問いかけ、また答えた。

「何をもって、わたしは主の御前に出で/いと高き神にぬかずくべきか。焼き尽くす献げ物として/当歳の子牛をもって御前に出るべきか。主は喜ばれるだろうか/幾千の雄羊、幾万の油の流れを。わが咎を償うために長子を/自分の罪のために胎の実をささげるべきか。人よ、何が善であり/主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩むこと、これである」(6~8節)。

 信仰とは、儀式を行い、献げ物をしさえすればよいというものではない。「正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩む」生き方こそが信仰の本質である。儀式も献げ物も、この本質があってこそ意味あるもの、心あるものとなる。自分達の信仰が、このような本質を失うことのないよう、預言者の言葉を心に深く刻みたいと思う。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と恵みの中に置いて、御前に引き出し、祈りを与えて下さることを感謝致します。

 主よ、私達は、何を献げることによっても、自分でこの罪を消し去り、取り去ることの出来ない者です。そのような私達のために、あなたは尊いただ一人の御子イエス・キリストをこの世に送って下さいました。

 御子は、低く、貧しく、卑しめられ、十字架の死によって陰府にまで降られました。御子が陰府にまで降って下さったから、罪の海底に沈んでいた私達は救われました。そこで私達を握って下さったあなたの大きな愛を心からほめたたえます。

 主よ、低められたあなたと共に、私達も低められた者として、この生涯を歩むことが出来ますように。あなたの謙卑を学び、いただくことが出来ますように。

 あなたの民お一人お一人を支え、導いて下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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