ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 歴代誌上13章

聖書日課 歴代誌上13章(新共同訳 旧約pp.646-647)

 ダビデ王は、「すべてのイスラエル人と共に」、神の箱が置かれていた町「キルヤト・エアリムに上って行った」(6節)。それは壮大な儀式であった。「竪琴、琴、太鼓、シンバル、ラッパ」の音が鳴り響く中、牛に引かれた「新しい車に」「神の箱を」「載せ」エルサレムに向かって颯爽と進んで行った。ダビデとすべてのイスラエル人は、神の御前で力を込めて、歌をうたい」、主を讃美した。

「彼らはアビナダブの家から、神の箱を新しい車に載せ、ウザとアフヨがその車を御した。ダビデとすべてのイスラエル人は、神の御前で力を込めて、歌をうたい、竪琴、琴、太鼓、シンバル、ラッパを奏でた」(7~8節)。

 ところが、ここで大変な事件が起こってしまった! 「一行がキドンの麦打ち場にさしかかったとき、牛がよろめいたので」、車の御者であったウザが「手を伸ばして」神の「箱を押さえようとした」ところ、彼は「主の怒り」「打たれ」「死ん」でしまったのである。

「一行がキドンの麦打ち場にさしかかったとき、牛がよろめいたので、ウザは手を伸ばして箱を押さえようとした。ウザが箱に手を伸ばしたので、ウザに対して主は怒りを発し、彼を打たれた。彼はその場で、神の御前で死んだ」(9~10節)。

 国を挙げての壮大な儀式中に死者を出すなど、儀式が台無しになっただけでなく、儀式の主催者である王にとって、面目丸潰れの大事件である。ダビデは怒り(11節)、儀式を中断して、神の「箱をガト人オベド・エドムの家に」預けた。

 恐れと悔しさと不可解さの中で、ダビデは苦しみ考えた。主なる神のために一生懸命やった筈なのに、正しいことをした筈なのに、どうしてこのようなことが? しかし、ダビデは間違っていた。神の箱を運ぶのはレビ人の務めであると定められていたのに、それをレビ人でないウザとアフヨに任せたからである。

 どんなに盛大な儀式も、どんなに熱心な行動も、それが主なる神の教えに反するものであるならば祝福を得ることは出来ない。それどころか、主なる神の怒りを招くことさえある。この時、ダビデは、王となった勢いにまかせて大切なことを見失っていたのかも知れない。信仰とは、自分の思い、自分の方法ではなく、主なる神の御思い、主なる神の方法に従うことであるということを。

「主が喜ばれるのは/焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり/耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる」(サムエル記上15章22節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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