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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 サムエル記上27章

聖書日課 サムエル記上27章(新共同訳 旧約p.474)

 前章までとは打って変わったように、本章でのダビデは、不安と恐れに見舞われている。そして、事もあろうに、イスラエルの敵国に庇護を求めようとまで考えている。一体ダビデはどうしたのだろうか?

ダビデは心に思った。『このままではいつかサウルの手にかかるにちがいない。ペリシテの地に逃れるほかはない。そうすればサウルは、イスラエル全域でわたしを捜すことを断念するだろう。こうしてわたしは彼の手から逃れることができる。』ダビデは立って、彼に従う兵六百人と共に、ガトの王、マオクの子アキシュのもとに移って行った」(1~2節)。

「このままではいつかサウルの手にかかるにちがいない」…そのような不安と恐れから、ダビデは一つの結論を出した。「ペリシテの地に逃れるほかはない」…そうすれば、サウルは自分を探すことを諦め、自分の命は助かる。

 こうして、ダビデは、「彼に従う兵六百人と共に」敵国ペリシテの王「アキシュのもとに移って行った」。しかし、それは正しい判断だったのだろうか?

 少なくとも言えることは、この時ダビデは、主なる神の導きを求めてはいなかったということ、またこの判断は不安と恐れからなされたということである。そうだとすれば、これは主なる神に対する積極的な不従順や罪ではないとしても、信仰による判断と行動ではなかったに違いない。

 それは、その後のダビデの言動を見れば一目瞭然である。ダビデは、アキシュに庇護を求めながら、アキシュとは離れた町に住み(5節)、そこから略奪の戦いに出て行った。しかも、ダビデは、古くからイスラエルの敵である町々を討ったにもかかわらず(8節)、アキシュには、あたかも同胞のイスラエルの町を討ったかのように報告した(10節)。そのためダビデは、偽りの報告が発覚しないように、略奪した町を徹底的に討ち、全住民を皆殺しにした(9節、11節)。

 そして、後には更に難しい問題に直面する破目になった。ペリシテとイスラエルの全面戦争が始まってしまったのである。当然、アキシュはダビデに同行を命じ、自分の護衛に任じた(28章1~2節)。板挟みになったダビデは、困ったことだろう。

 不安や恐れには、私達の判断を狂わせる危険性がある。ダビデでさえそうだった。それならば、私達は尚のこと、不安や恐れに見舞われた時には、主に祈り、主の平安の中で判断することが必要である。

「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(フィリピの信徒への手紙4章6~7節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
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