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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 サムエル記下6章

聖書日課 サムエル記下6章(新共同訳 旧約pp.488-490)

 ペリシテ軍を打ち破り、名実共に全イスラエルの王となったダビデは、イスラエル民族の信仰の拠り所である「神の箱」を、首都エルサレムに迎え入れようとした(2節)。

 それは盛大な催しであった。イスラエルの精鋭三万」の行列(1節)、「竪琴、琴、太鼓、鈴、シンバル」などの「楽器」による演奏(5節)、そして、その中を「新しい車に載せ」られた「神の箱」エルサレムに向かって運ばれた。

 ところが、この盛大な催しが、一瞬にして悲劇に変わってしまう事件が起こった! 「その新しい車を御していた」ウザが(3節)、「牛がよろめいた」瞬間に「神の箱」を手で「押さえた」ことで、主の怒りが降り、ウザは「その場で」「死ん」でしまったのである。

「一行がナコンの麦打ち場にさしかかったとき、牛がよろめいたので、ウザは神の箱の方に手を伸ばし、箱を押さえた。ウザに対して主は怒りを発し、この過失のゆえに神はその場で彼を打たれた。ウザは神の箱の傍らで死んだ」(6~7節)。

 この事態にダビデ王は「怒った」。それは盛大な催しが台無しになってしまったからだけでない。何故主がウザを打たれたのか訳が分からなかったからである。そのため、神の箱は「オベド・エドム」という人物の「家に」「三か月の間」預けられることになった(11節)。

 実は、律法では、神の箱はレビ人たちが担いで運ぶよう命じられており、また神の箱に触れると「死を招く」恐れがあることも警告されている(民数記4章)。ところが、この時神の箱は「車に載せ」られており、神の箱に触れたウザはその警告を破ってしまったのである。

 これはダビデにとって大きな問題であった。主なる神の教えを軽んじていたのである。この時ダビデは思い上がっていたのかも知れない。イスラエルの王となり、ペリシテ人を討ち滅ぼし、全てが順調に進んでいたから。

 苦難の時も順境の時も、大切なことは主なる神の御心に聞き従うことである。苦しみの故に絶望し心を閉ざすこと、喜びの余り有頂天になり謙遜さと慎重さを失うこと、私達はどちらにも片寄ることのないように心がける必要がある。

 ダビデは、ウザの出来事を通してこのことを学んだ。そして、3か月後、再び神の箱をエルサレムに運び入れようとした時には、律法の教え通りに「主の箱を担ぐ者」によって運ばれた(13節)。しかし、それは単に運搬方法が変わったということではない。大切なのはダビデの心のあり方が変わったことである。ダビデは、自分の権勢を誇る盛大な催しによってではなく、主の御前に謙り、主に対する心からの喜びと讃美をもって神の箱をエルサレムに迎え入れた。

 あなたは今、主なる神をどのような心でお迎えしているだろうか?

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

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