聖書日課 列王記上14章(新共同訳 旧約pp.555-557)
「列王記」という書名の通り、本書には、南ユダ王国と北イスラエル王国を治めた王たちの歴史と業績が年代順に記されている。しかし、列王記は、単に「誰々が何々をした」という出来事を記述するのではなく、一人ひとりの王がなした業績を、主なる神への信仰という面から評価している。
「ユダではソロモンの子レハブアムが王位についた。レハブアムは四十一歳で王となり、十七年間エルサレムで王位にあった。エルサレムは、主が御名を置くためにイスラエルのすべての部族の中から選ばれた都であった。レハブアムの母は名をナアマと言い、アンモン人であった。ユダの人々は、主の目に悪とされることを行い、その犯した罪により、先祖が行ったすべてのことにまさって主を怒らせた。彼らもまたあらゆる高い丘の上と、茂った木の下に、聖なる高台を築き、石柱、アシェラ像を立てた。その地には神殿男娼さえいた。彼らは、主がイスラエルの前から追い払われた諸国の民のすべての忌むべき慣習に従った」(21~24節)。
14章では、ソロモン王の後を継いだユダの王レハブアムとその時代の人々の信仰的評価がなされている。それによると、彼らは、ソロモン王が取り入れた外国の神々を取り除くことをせず、より一層「主の目に悪とされることを行」った。彼らは、自分勝手に「聖なる高台を築き、石柱、アシェラ像を立て」、「神殿男娼さえ」いて、偶像礼拝を積極的に促進していった。このような霊的・信仰的混乱と堕落は、倫理的・道徳的な混乱と堕落に必ず結び付く。今やイスラエルは、「諸国の民のすべての忌むべき慣習に従」う国民となってしまった。
こうして、主なる神への信頼と主なる神との平和な交わりから逸脱した神の民イスラエルは、恐れと不信、怒りと裁きの中に生きる民となっていった。真の愛なる神に反逆することは、愛とは正反対の断絶と憎しみと怒りの道を選ぶことに他ならない。
勿論、彼らも最初から好き好んで不信と恐れの道を選んだわけではないだろう。偶像には、人の心を惑わし魅了する力がある。しかし、偶像は決して平和と祝福をもたらすものではない。それどころか、人を恐怖と怒りで雁字搦めにしてしまう。
人を惑わし束縛する偶像は、今も確かに存在している。私達は、真の主なる神を信じ、従って生きていくか、それとも偽りの神々を信じるか、しっかり見定めることを求められている。
「あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい。もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます」(ヨシュア記24章14~15節)。
西原新生バプテスト教会
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