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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 歴代誌下34章

聖書日課 歴代誌下34章(新共同訳 旧約pp.717-719)

 ユダ王国末期の名君ヨシヤ王は、「八歳」で王位を引き継いだ。「八歳」と言えば、右も左も分からないような子供である。しかし、ヨシヤは、「主の目にかなう正しいことを行い、父祖ダビデの道を歩み、右にも左にもそれなかった」「その治世の第八年」(16歳)、彼はより自覚的・積極的に「父祖ダビデの神を求める」ようになった。そして「第十二年」(20歳)には、ユダとエルサレムにおける宗教改革を開始した。

「ヨシヤは八歳で王となり、三十一年間エルサレムで王位にあった。彼は主の目にかなう正しいことを行い、父祖ダビデの道を歩み、右にも左にもそれなかった。その治世の第八年、彼がまだ若かったときに、父祖ダビデの神を求めることを始め、第十二年に聖なる高台、アシェラ像、彫像、鋳物の像を取り除き、ユダとエルサレムを清め始めた」(1~3節)。

 それは激しい改革であった。イスラエルの国中で彼は異教の祭壇やアシェラ像を取り壊し、偶像を打ち砕いて粉々にし、香炉台をすべて切り倒して」(7節)、「これら」を偶像に仕えた人々の「墓の上にまき散らした」(4節)。そして、偶像に仕えた「祭司たちの骨をその祭壇の上で焼き、ユダとエルサレムを清めた」(5節)。

 そのような改革が進められる中、「その治世の第十八年」(26歳)に(8節)、「主の神殿」モーセによる主の律法の書」が発見された(14節)。それは長年に及ぶ偶像礼拝と宗教的混乱の中で見失われていた主の教えであった。

 ヨシヤは、「その律法の言葉を聞くと、衣を裂」き(19節)、悔い改めて言った。

「この見つかった書の言葉について、わたしのため、イスラエルとユダに残っている者のために、主の御旨を尋ねに行け。我々の先祖が、主の言葉を守らず、この書物に記されているとおりにすべての事を行わなかったために、我々の上に注がれた主の怒りは激しいからだ」(21節)。

 ヨシヤ王は、民族が犯した罪、国家の罪を自らの罪として受けとめ悔い改めたのである。それは神の民の王として相応しい態度であると言える。このような王を指導者として持つ国は幸福である。しかし、それと共に、私達も、社会の罪、時代の罪、国家の罪を自らの罪として受けとめ祈ることが大切なのではないか。何故なら、私達も社会の一員であり、社会と人々に対して互いに責任を負っているからである。

「しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです」(ペトロの手紙一2章9節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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