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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 士師記18章

聖書日課 士師記18章(新共同訳 旧約pp.412-414)

「ダンの部族」は、嗣業の土地から敵を追い出すことが出来ないため、自分達が「住み着く」町を他に探していた(1節)。そこで、ライシュという町を探し当てた。この町の人々は、「静かに、また、穏やかに安らか」に暮らしていたので(7節)、ダンの人々は、この町を奪い取ることにしたと記されている(9節)。

 ライシュに向かう途中、彼らはミカの家に立ち寄った(13節)。すると、そこに「彫像、エフォド、テラフィム、鋳像」があるのを見てこれを奪い取り(18節)、ミカに雇われていた祭司もろとも連れ去ってしまった。

 祭司は一旦は彼らを制した。しかし、「わたしたちの父となり、祭司となってください。一個人の家の祭司であるより、イスラエルの一部族、氏族の祭司である方がよいのではありませんか」という彼らの言葉を聞いて(19節)、「これを快く受け入れ」、彼らに「加わった」(20節)。

 ダン族もダン族なら、祭司も祭司である。しかし、これがこの時代のイスラエルの姿だった。主なる神への信仰に立って敵を追い出す勇気もなく、自分達よりも弱いと見るや、「穏やかに」慎ましく暮らしている人々に攻撃を仕掛ける。おまけに同じイスラエルの民の家からも、力ずくで物や人を奪って居直ってしまう。これが、主なる神への信仰を失ってしまったイスラエルの姿だった。

「彼らはミカが造った物と彼のものであった祭司を奪って、ライシュに向かい、その静かで穏やかな民を襲い、剣にかけて殺し、町に火を放って焼いた。その町はシドンから遠く離れ、またどの人間とも交渉がなかったので、助けてくれる者がなかった。それはベト・レホブに属する平野にあった。彼らはその町を再建して住み着き、その町を、イスラエルに生まれた子、彼らの先祖ダンの名にちなんで、ダンと名付けた。しかし、その町の元来の名はライシュであった。ダンの人々は、自分たちが拝むために例の彫像を立てることにした。またモーセの孫でゲルショムの子であるヨナタンとその子孫が、その地の民が捕囚とされる日までダンの部族の祭司を勤めた。こうして、神殿がシロにあった間、ずっと彼らはミカの造った彫像を保っていた」(27~31節)。

 それにしても、どうして聖書はこのような暗い話を記しているのだろうか。それは、〈現実を見る〉ということを、私達に教えてくれているのではないか。主なる神から離れ、主なる神を捨てた人間の行き着く先はこのような姿である。これは誤魔化したくても、誤魔化しようのない現実である。

 しかし、これは決して、私達を暗い思いに沈めるために記されているのではない。私達が、現実を弁えて主なる神に立ち返り、主なる神と共に、主なる神に信頼して生きることの大切さを知るために記されている。主なる神の愛と恵みのもとに生き続ける者でありたい。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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