ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 士師記19章

聖書日課 士師記19章(新共同訳 旧約pp.414-415)

 恐ろしい事件が起こった。「一人の女」が、「町のならず者」によって「もてあそ」ばれ、殺された(25節)。しかも、その女の主人は、怒りに駆られて、彼女の死体を「十二の部分に切り離し、イスラエル全土に送りつけた」というのである!

「朝になるころ、女は主人のいる家の入り口までたどりつき、明るくなるまでそこに倒れていた。彼女の主人が朝起きて、旅を続けようと戸を開け、外に出て見ると、自分の側女が家の入り口で手を敷居にかけて倒れていたので、『起きなさい。出かけよう』と言った。しかし、答えはなかった。彼は彼女をろばに乗せ、自分の郷里に向かって旅立った。家に着くと、彼は刃物をとって側女をつかみ、その体を十二の部分に切り離し、イスラエルの全土に送りつけた」(26~29節)。

 この女性の主人は「レビ人」で、女性は彼の「側女」だった(1節)。神殿で主なる神に仕えるレビ人に側女がいること自体、何かがズレている。或る日、この側女は、主人の家を逃げ出して実家に帰ってしまった(2節)。「四か月」ほどして、主人は側女を連れ戻すために、彼女の実家に行った。主人を裏切った側女にも問題があっただろうが、それを「四か月」も放っておいた主人も主人である。やはり何かがズレている。

 彼女の父は、彼をなかなか帰そうとしなかったが(4~9節)、しびれを切らした主人は、無理やり「側女を連れて」その家を出て帰途に就いた(10節)。そして、その途上で、この恐ろしい事件が起きた。

 彼らは、「異国人の町」は危険だと、わざわざ同族のベニヤミンの町「ギブア」まで行った(11~15節)。ところが、一夜の宿を借りたその家を、「町のならず者」が取り囲んで言った。「お前の家に来た男を出せ。我々はその男を知りたい」(22節)。

 何と彼らは、そのレビ人に男色を求めたのである。これがこの時代のイスラエルの現実だった。それはソドムとゴモラのような状況だった(19章5節)。しかも、レビ人は、何と「側女をつかんで、外にいる人々のところへ押し出」した! その結果は、冒頭に見た通りである。

 聖書の言う「罪」とは、〈的外れ〉を意味する。主なる神によって造られた人間が、主なる神から離れ、主なる神の目的からズレてしまっている状態、それが「罪」である。士師の時代の人々は、この主なる神の目的から完全にズレてしまっていた。しかも、彼らはそのズレに気付いてもいなかった。

 しかし、これは現代の私達の姿でもある。主なる神を知らず、求めることもなく、主なる神の存在を否定する社会、士師記と同じような出来事や事件が日常茶飯事の社会、それが今の私達の社会ではないか。主なる神の〈的〉に立ち帰ること、それが、この時代に第一に必要なことなのではないか。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com