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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 申命記21章

聖書日課 申命記21章(新共同訳 旧約pp.312-314)

 主なる神は約束の地にイスラエルを導こうとされていた。しかし、21章には「主が」彼らに「与えて、得させられる土地で」主なる神の御心を踏みにじる身勝手な罪人の姿が描かれている(1節)。

「殺されて野に倒れている人が発見され、その犯人がだれか分からない」場合(1節)。外国人の捕虜の「中に美しい女性がいて、心引かれ、妻にし」たものの(11節)、愛情が冷えて「彼女が」「気に入らなくなった場合」(14節)。「二人の妻があり」(15節)、身勝手な父親が「長子である疎んじられた妻の子を差し置いて、愛している妻の子を長子として扱」おうとする場合(16節)。逆に、「わがままで、反抗する息子があり、父の言うことも母の言うことも聞かず、戒めても聞き従わない」場合など(18節)。

 罪に対してなされる処罰は厳しいものがあるが、主なる神が目指しておられるのは、「あなたの中から悪を取り除かねばならない」ということである(21節)。つまり、「あなたの神、主が嗣業として与えられる土地を汚してならない」ということである(23節)。罪が地に蔓延することは、地を汚すことであると主は御覧になる。

 だから、犯罪者を地上から〈離して〉「木にかける」刑罰は、「死刑に当たる罪を犯し」た者に対する刑罰とされた。そして、「木にかけられた者は、神に呪われたもの」とされた(23節)。

 イエス・キリストは、十字架という「木にかけられ」て死なれた。「神に呪われたもの」となって死なれた。イエス・キリストは、全人類の罪を身に引き受けて死なれた故に、最も「呪われた」方法で死なれた。

「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。『木にかけられた者は皆呪われている』と書いてあるからです」(ガラテヤの信徒への手紙3章13節)。

「キリストは、わたしたちのために呪いとなって」死なれた。本来なら私が受けるべき呪いを、イエス・キリストは引き受けて下さった。だから、イエス・キリストを信じる者に、最早呪いはない。何か悪いことが起こっても、この御言葉を思い出そう。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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