聖書日課 ガラテヤの信徒への手紙1章(新共同訳 新約pp.342-343)
パウロは主なる神の召しを受けた「使徒」(1節)として手紙を書いている。パウロはガラテヤの信徒への手紙の冒頭で、自分が「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされた」(1節)と強調している。
また、パウロが「告げ知らせた福音」(11節)が、「人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされた」(12節)ものであることをはっきりと伝えている。それはガラテヤの教会の特殊な状況の故であった。この点がはっきりしていなければ、ガラテヤの教会に入り込んで「キリストの福音を覆そうとしている」(7節)〈ユダヤ主義者〉の律法主義に躓く危険性が余りにも大きかったからである。
ガラテヤ教会に入って来た〈ユダヤ主義者〉は、パウロが伝えた内容とは「反する福音を告げ知らせ」た(9節)。パウロはそれを「ほかの福音」(6節)と言っている。しかし「ほかの福音」に従うことは、彼らを「キリストの恵みへ招いてくださった」(6節)主なる神を裏切るのと同じことだとパウロは強調する(6節)。事実、「ほかの福音」がある筈がない。〈ユダヤ主義者〉の異説は「ほかの福音」というより、「キリストの福音を曲げようとしている」(7節・口語訳)だけである。
パウロは、「何とかして人の気に入ろうとあくせくして」(10節)、「ほかの福音」を伝える者は、「キリストの僕」(10節)ではなく、「呪われる」べきであると宣言した。パウロ自身は勿論、たとえ「天使」であっても、パウロが受け、告げ知らせた福音に反するものを、福音だと言って伝えるなら、その行為自体が呪いとなる(8節)。
イエス・キリストによる救いの福音は、主なる神から来たものであり、その福音のために主なる神はパウロを直接召された。それ故、真の福音は「人に取り入ろう」(10節)と人間的に妥協することはない。
「キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。わたしたちの神であり父である方に世々限りなく栄光がありますように、アーメン」(4~5節)。
西原新生バプテスト教会
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