聖書日課 ヘブライ人への手紙1章(新共同訳 新約pp.401-402)
ヘブライ人への手紙は、イエス・キリストと主と信じるユダヤ人に向けて書かれた手紙である。この手紙は、旧約と新約を比較しながら、イエス・キリストによる救いの確かさを論証する構成になっている。
旧約の時代、主なる神は「預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで」語られた(1節)。つまり、主なる神が直接語られたのではなかった。そのため、主なる神のことを全て言い表すことは出来なかった。旧約の時代に語られたことは部分的で限定的であった。
しかし、新約の時代――新約の時代のことを聖書は「終わりの時代」と呼んでいる――には、「御子」イエス・キリストによって「語られ」た(2節)。主なる神は、御子イエス・キリストを通してご自分の全てを見せて下さった。イエス・キリストの口から出た言葉は勿論のこと、イエス・キリストご自身、その生涯全てが主なる神の語りかけである。
「御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました」(3節)。
「わたしを見た者は、父を見たのだ」とイエス・キリストがフィリポに言われたように(ヨハネによる福音書14章9節)、主なる神の輝かしい栄光も、罪に対する厳しい裁きも、罪に苦しむ人間に対する愛も、御子イエス・キリストによって主なる神は見せて下さった。イエス・キリストご自身も弟子達に「父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせた」と言われている(ヨハネによる福音書15章15節)。
だから、御子イエス・キリストを無視して主なる神を知ることは出来ない。イエス・キリストは「門」である。イエス・キリストを「通って入る者は救われる」(ヨハネによる福音書10章9節)。イエス・キリストを無視して主なる神を知ろうとする者は、「門を通らないでほかの所を乗り越えて来る」「盗人」のようなものである(同1節)。
主なる神はご自分を隠してはおられない。イエス・キリストを通して常に私達に語りかけておられる。
西原新生バプテスト教会
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