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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 申命記20章

聖書日課 申命記20章(新共同訳 旧約pp.311-312)

 イスラエルがこれから立ち向かう相手は、皆自分達より大きく強い民ばかりだった。しかし、主なる神は、彼らを見ても「恐れてはならない」と命じられた。

「あなたが敵に向かって出陣するとき、馬と戦車、また味方より多数の軍勢を見ても恐れてはならない。あなたをエジプトの国から導き上られたあなたの神、主が共におられるからである」(1節)。

 そうは言われても、現実に武装した軍隊、強そうな兵器を前にしたら、誰でも恐れるかも知れない。イスラエルは、荒れ野を旅してきた民であり、充分な軍事訓練も兵器もなかった。

 しかし、一つだけ違うことがある。全能の神である「主が共におられる」ことである。

 私達の人生においても、目に「見えるもの」を見れば恐れを抱かせる要因が山積している。しかし、「見えないもの」にも「目を注」ごう。そこには、「共におられる」神、イエス・キリストがおられる。

「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは存続するからです」(コリントの信徒への手紙二4章18節)。

 見えない世界は、肉眼で見えないだけで、確かに生き、働いておられる主なる神の世界である。

 とはいえ、主なる神は、それでも「恐れて心ひるんでいる者」に対しては、無理をせず「家に帰」るよう言われた。

「役人たちは更に民に勧めて言いなさい。『恐れて心ひるんでいる者はいないか。その人は家に帰りなさい。彼の心と同じように、同胞の心が挫けるといけないから』」(8節)。

 全員が同じように戦えるわけではない。恐れて弱気の者もいる。彼らに対する配慮をしつつ、主の戦いは進められていく。

 さて、イスラエルは有無を言わさず敵を滅ぼしたわけではない。戦闘の前にまず「降伏を勧告し」た。聖絶は問答無用でなされたわけではない。

「ある町を攻撃しようとして、そこに近づくならば、まず、降伏を勧告しなさい」(10節)。

 新約の時代における神の民の戦いは、武力による戦闘ではなく、霊的な戦いである。そして、主なる神の和解の福音を伝える。いわば主なる神の御前に「降伏」するように勧めるわけである。この和解を受け入れる人は、自分が罪人であることを認め、主なる神の正しい裁きの前に「降伏」する。

「ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい」(コリントの信徒への手紙二5章20節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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