聖書日課 民数記36章(新共同訳 旧約pp.277-278)
「嗣業の土地」の割り当てにあたって、家の後継ぎである男子がいないため、娘たちが「他の部族のイスラエル人のだれかと結婚」したら、「娘たちの嗣業の土地」は「先祖の嗣業の土地から削られ、嫁いだ先の部族の嗣業の土地に加えられることにな」ってしまうのではないかという問題が出てきた(3節)。マナセ族の「ツェロフハドの娘たち」はそのようなケースであった(6節)。
彼女達は「男の子がないからといって、どうして父の名がその氏族の中から削られてよいでしょうか。父の兄弟たちと同じように、わたしたちにも所有地をください」とモーセに訴え(27章1節)、主なる神はそれを良しとされた。その経緯は先の27章に述べられている。
36章では、「嗣業の土地を相続し」た娘は、他の部族に嫁いではならないと命じられている。他の部族との婚姻によって嗣業の土地が入り混じり、嗣業がうやむやになってしまわないためである。
「イスラエルの人々の嗣業の土地が一つの部族から他の部族に移ることはなく、イスラエルの人々はそれぞれ、父祖以来の部族の嗣業の土地を固く守っていかなければならない。イスラエルの人々の諸部族の中で、嗣業の土地を相続している娘はだれでも、父方の部族の一族の男と結婚しなければならない。それにより、イスラエルの人々はそれぞれ、父祖伝来の嗣業の土地を相続することができる。嗣業の土地が一つの部族から他の部族に移ることはないであろう。イスラエルの人々の諸部族はそれぞれ、自分の嗣業の土地を固く守ることができよう」(7~9節)。
このように、旧約の民は自分に与えられた嗣業を何としてでも守ろうとした。
新約の私達も、主なる神に仕えるべく「嗣業」を受けているが、それが絶えてしまわないように、祈り、工夫することを求められている。
新約における「嗣業」とは信仰であり、その群れや地域である。
或る人は子供にこの「嗣業」を受け継がせようと苦闘している。信仰を強制することは出来ないので、涙の祈りなくして果たすことは出来ない。
また、或る人は、未信者の夫(妻)と「嗣業」を共にしようと日夜闘いの中にある。また、或る人は、隣人や友人に伝道することによって、この「嗣業」を絶やすまいと愛をもって働いている。
また、教会も「嗣業」と言えるだろう。西原新生バプテスト教会はイエス・キリストからいただいた沖縄県中城郡西原町における「嗣業」である。この「嗣業」を絶やしてはならない。信仰の火を受け継ぐ牧師と聖徒達を絶やしてはならない。
どうか私達の「嗣業」が天に至るまで脈々と受け継がれていくように。そのために涙をもって種蒔く者に喜びの収穫があるように。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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