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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 申命記1章

聖書日課 申命記1章(新共同訳 旧約pp.279-281)

 イスラエルが40年間の荒れ野の旅を終え、これから約束の地カナンに入ろうとする時、モーセによって語られた遺言――それが申命記である。時はエジプトを出立して「第四十年の第十一月の一日」である(3節)。

 そこでモーセは、かつて「カデシュ・バルネア」から(19節)、カナンの地に攻め入ろうとしたけれども、人々が主なる神を信頼せず、恐れ、「主の命令に逆らって」「不平を言い合った」ため(26節)、入り損ねてしまった事件を述懐している。

「各部族」の代表者から成る「十二人」の偵察隊は、カナンの地を行き巡った後、「そこの住民は、我々よりも強くて背が高く、町々は大きく、城壁は天に届くほどで」(28節)、自分達には到底敵う相手ではないと告げた。しかし、その中のヨシュアとカレブの意見は違っていた。二人は「もし、我々が主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えてくださるであろう……主が我々と共におられる。彼らを恐れてはならない」と訴えた(民数記14章8~9節)。

 現実を見て、それを悪い方向に考えてしまう人がいる。逆に、主なる神は「耐えられないような試練に遭わせることはなさら」ないから(コリントの信徒への手紙一10章13節)、主なる神を信頼して進もう、この困難にも恵みがある筈だと良い方向に考える人もいる。同じ現実を見ながら、こうも意見が食い違う。

 イスラエルの人々の多くは前者の考え方をした。悪い方に考えた。「主は我々を憎んで、エジプトの国から導き出し、アモリ人の手に渡し、我々を滅ぼそうとしておられるのだ」と考えたのである(27節)。それは、エジプトで奴隷だった頃の思考法が染みついていたからである。「どうせ俺は奴隷の身分だ」「良いことなんかある筈がない」と。

 あなたはどのような考え方をしているだろうか。全ては思考から始まる。その思考がやがて言葉になって出てくる。言葉はやがて行動になって現れる。その行動はやがて習慣になり、習慣はその人の性格となっていく。全ては思考から始まっている。

 私達が思考を変えるためには、主なる神の御言葉とそれに基づく体験を思考の基準にする必要がある。

 イスラエルの場合、主なる神がエジプトから導き出された経緯を思い出すべきであった。数々の災いがエジプトに下る中、イスラエルは守られたこと、エジプト脱出の最後の夜、小羊の血を流した家には一人の死者もなかったこと、エジプト軍に追われるようにして紅海を渡って命を得たこと、天からのマナで養われたこと、荒れ野で岩から出る水によって潤ったこと……。

 まさに「数えて見よ主の恵み」である。

 カデシュ・バルネアの事件の後、イスラエルの民は40年間荒れ野で過ごした。その間に彼らは神の民としての訓練を受けた。その積み重ねによって彼らは変えられていった。エジプト時代の思考法から解放され、主なる神の御言葉や体験を土台とした新しい思考や価値観を身に付けていった。そして、世代が交代し、新しい民へと生まれ変わっていった。

 そのような彼らに主なる神は言われる。

「うろたえてはならない。彼らを恐れてはならない。あなたたちに先立って進まれる神、主御自身が、エジプトで、あなたたちの目の前でなさったと同じように、あなたたちのために戦われる」(29~30節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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