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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 出エジプト記16章

聖書日課 出エジプト記16章(新共同訳 旧約pp.119-122)

 イスラエルの民の道行きは、決して平穏無事なものではなかった。彼らは、事ある毎に恐れ、迷い、モーセに向かって不平不満をぶつけてきた。

 荒れ野に入って間もなく、人々は食べ物のことで不平を言い出した。

「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている」(3節)。

 エジプトであれほど苦しい目に遭っていたのに、荒れ野で思うようにいかなくなると、エジプトで「死んだ方がましだった」などと言い出す。何と身勝手なことだろうか! しかし、これは決して他人事ではなく、私達自身の姿ではないか。私達は、目の前の問題に余りにも簡単に振り回され易い。

 しかし、主なる神は、そういう人間をなお愛し、受けとめ、その歩みに伴い、導いて下さる御方である。この日から約束の地に「着くまで四十年にわたって」、主なる神は、毎日天から「マナ」を降らせて下さった(35節)。それは、主なる神がいつも共にいて彼らを守り、必要を満たして下さる方であることをイスラエルの人々が「知るようになる」ためであった。

「主はモーセに仰せになった。『わたしは、イスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えるがよい。『あなたたちは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる』と』。夕方になると、うずらが飛んで来て、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた。この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。イスラエルの人々はそれを見て、これは一体何だろうと、口々に言った。彼らはそれが何であるか知らなかったからである。モーセは彼らに言った。『これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである』」(11~15節)。

 また、マナには他にも大切な意味が込められていた。マナは毎朝天から降って来たが、人々は一日分しか取ることを許されず(19節)、余分なものはすぐに腐ってしまった(20節)。ところが、「六日目」には「二倍の量」、つまり「二日分」のマナを取るように言われた(22~23節、29節)。それは、「七日目」「主の安息日にはマナは降らず、民は休みを取って、前日のマナを食するためであった(25~27節、30節)。そして、その日にはマナは「臭くならず、虫も付かなかった」(24節)。

 これは、まさに主なる神の〈実物教育〉である。神の民は、一日一日、主が下さる糧によって生かされていること、7日目には全ての働きを止めて休み、主を崇め礼拝しつつ生きることを、マナを通して教えられた。一日一日、主に依り頼んで歩むこと、7日目には、全ての仕事の手を休め、主を礼拝すること、これは現代の私達にとっても大切な教えである。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
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