聖書日課 出エジプト記15章(新共同訳 旧約pp.117-119)
15章には〈海の歌〉と呼ばれる賛美の歌が記されている。葦の海の奇跡を体験した「モーセとイスラエルの民」が、偉大な御業を行った「主を賛美して」「うたった」歌である。
「モーセとイスラエルの民は主を賛美してこの歌をうたった。主に向かってわたしは歌おう。主は大いなる威光を現し/馬と乗り手を海に投げ込まれた。主はわたしの力、わたしの歌/主はわたしの救いとなってくださった。この方こそわたしの神。わたしは彼をたたえる。わたしの父の神、わたしは彼をあがめる」(1~2節)。
この歌は、前半の12節までで主なる神の勝利を歌い、後半では贖われた神の民が主なる神の御住まいに導かれることを歌っている。それは、出エジプト記の2つの主題である、エジプトからの解放と救い、および主なる神の御住まいである幕屋を中心とした信仰生活に丁度対応している。
賛美とは、主なる神をほめたたえ、感謝し、崇めることである。しかし、当然のことながら、主なる神がほめたたえられるに相応しい御方であることを知らなければ、賛美は生まれてこない。その意味で、〈海の歌〉は、葦の海の奇跡の体験が、いかに大きなインパクトをイスラエルの人々に与えたかを物語っている。
「アロンの姉である女預言者ミリアムが小太鼓を手に取ると、他の女たちも小太鼓を手に持ち、踊りながら彼女の後に続いた。ミリアムは彼らの音頭を取って歌った。主に向かって歌え。主は大いなる威光を現し/馬と乗り手を海に投げ込まれた」(20~21節)。
年老いた「女預言者ミリアム」が、「小太鼓」を打ち鳴らして、「踊りながら」主なる神を賛美する姿を想像していただきたい。それは、新鮮な喜びと感謝に溢れた賛美であったに違いない。
私達の賛美はどうだろうか? 私達の賛美は、主なる神から受けたインパクトから生まれ出ているだろうか? 新鮮な驚きと喜び、そして感謝に溢れた賛美となっているだろうか?
勿論、私達は、葦の海の奇跡のようなことは体験していない。しかし、私達は、それよりも遥かに偉大な御業を知っている。御子イエス・キリストの十字架の御業、それは聖書の中心であり、聖書の中で最も重要な出来事である。イエス・キリストの十字架に、罪からの真の赦しがあり、解放があり、救いがある! この十字架の御業に、私達は、どれほどインパクトを受けているだろうか。そして、そのインパクトから生まれる喜びと感謝の賛美を、私達は、日々主に献げているだろうか。もしそうでないとすれば、私達は、何度でも十字架に立ち帰り、自分の信仰を省みる必要があるのではないか。
西原新生バプテスト教会
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