聖書日課 出エジプト記5章(新共同訳 旧約pp.100-101)
いよいよモーセとファラオ(エジプト王)との交渉が始まった。それは困難を極めた交渉であり、〈ファラオとの対決〉と言った方が的を射ているかも知れない。
しかし、モーセがしたことは、ファラオに主の言葉を伝えることであった。
「その後、モーセとアロンはファラオのもとに出かけて行き、言った。『イスラエルの神、主がこう言われました。『わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい』と』。ファラオは、『主とは一体何者なのか。どうして、その言うことをわたしが聞いて、イスラエルを去らせねばならないのか。わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない』と答えた」(1~2節)。
つまり、この対決は、モーセとファラオの対決ではなく、主なる神とファラオの対決だった。主なる神は、モーセとアロンを用いてファラオと対決し、イスラエルの民をエジプトから導き出そうとされた。
そうであるとすれば、この対決でどちらが勝利するかは、火を見るより明らかである。そして、この時人間にとって大切なことは、どこまでも主なる神に信頼して待つことであった。
しかし、私達は、主に信頼することも、待つことも、余り得意ではない。人を恐れたり、状況や感情に振り回されてしまうため、主に信頼して待つことが出来ず、恐れや感情のままに行動してしまうことが実に多い。
それはイスラエルも同じだった。ファラオがモーセとアロンの申し出を聞いて怒り、イスラエルの人々の「仕事をきつくす」るように命じると(6~9節)、イスラエルの人々はモーセとアロンに「抗議した」。
「どうか、主があなたたちに現れてお裁きになるように。あなたたちのお陰で、我々はファラオとその家来たちに嫌われてしまった。我々を殺す剣を彼らの手に渡したのと同じです」(21節)。
モーセも主なる神に「訴えた」。
「わが主よ。あなたはなぜ、この民に災いをくだされるのですか。わたしを遣わされたのは、一体なぜですか。わたしがあなたの御名によって語るため、ファラオのもとに行ってから、彼はますますこの民を苦しめています。それなのに、あなたは御自分の民を全く救い出そうとされません」(22~23節)。
怒るべき相手はファラオでありエジプト人であるのに、人々はモーセとアロンに抗議し、モーセもまた主なる神に不満をぶつけた。怒るべき相手は誰で、信頼すべき存在は誰であるか、私達は案外取り違えていることはないだろうか。主なる神に信頼して待つことの大切さを心に銘記しつつ歩みたい。
西原新生バプテスト教会
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