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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 出エジプト記11章

聖書日課 出エジプト記11章(新共同訳 旧約pp.110-111)

 11章に一見不思議な記述がある。迫害され軽蔑されていた筈のイスラエルの民に対して、エジプトの人々が「好意」を持つようになったというのである。また、モーセに対して、エジプトの「民」「ファラオの家臣」までもが尊敬の念を抱いていたという。

「主はこの民にエジプト人の好意を得させるようにされた。モーセその人もエジプトの国で、ファラオの家臣や民に大いに尊敬を受けていた」(3節)。

 表面的には、ファラオとエジプト人は、イスラエルの民を、いや、主なる神を認めようとせず、対抗していた。そのため、エジプトに災いが次々と襲いかかった。しかし、実際は、エジプト中の人々が困り果てていた。そして、遂にはファラオの家臣でさえ、モーセとアロンの申し出を聞き入れて、イスラエルの民を荒れ野に行かせることをファラオに進言するようになっていた(10章7節)。

 一連の災いを通して、エジプトの人々の心の中に、主なる神に対する畏れが生じてきたのかも知れない。それは主がモーセに言われた通りである(9章14節)。その一方で、これは、主の約束と導きに従って生きたモーセイスラエルの民の影響でもあったと言えるだろう。苦しみを受けとめて生きる神の民の存在がこの世界に対する生きた証しとされたのである。そして、それはイエス・キリストの生き方を指し示すものでもあった。

「不当な苦しみを受けることになっても、神がそうお望みだとわきまえて苦痛を耐えるなら、それは御心に適うことなのです。罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです。あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。『この方は、罪を犯したことがなく、/その口には偽りがなかった』。ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました」(ペトロの手紙一2章19~23節)。

 イエス・キリストがこのように生きて下さり、十字架にまで架かって下さったから、私達は、今、罪を赦され、主なる神との永遠の和解と交わりの中に生きる者とされている。だから、私達も、隣人にイエス・キリストを証しする者として、主のお役に立つ人生を歩みたいものである。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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